ものづくりが盛んな東大阪は下町の風情が残る人情に溢れたエリアです。たこ焼・お好み焼といった粉もんの名店が街角に軒を連ね、飲食店や居酒屋などが充実しています。
東大阪には生駒山、久宝寺緑地、司馬遼太郎記念館などの観光スポット、十日戎、節分祭、エコ、フェスタなどの観光イベント、お好み焼き、たこ焼き、粕汁などのご当地グルメがあります。
東大阪市は大阪府中河内地域に位置します。「近鉄花園ラグビー場」があるラグビーの街としても有名です。古くは物部氏の本拠地があり、生駒に通じる高野街道が作られた通り道にも当たる場所です。
北河内はその昔、令制国の河内北部であった場所となります。古く京都へ通じる京街道や東高野街道などが通り、それぞれを結ぶ中継地でした。
ここも古くからの石器など、旧石器時代からの史跡が多く存在する場所で、松尾芭蕉など、河内文芸と呼ばれる作品がこの地で生まれました。このエリアは全般的に古い時代の史跡が多く「千手寺」や「石切劔や神社」、「夫婦塚古墳」、「玄清寺」は古くからの史跡であり、特に「夫婦塚古墳」は指定文化財として考古学的価値も高い史跡となっています。
この他にも江戸時代中期に創建された神社・仏閣は非常に多く、1日では散策が不可能なほど、様々な史跡がありますので、ある程度コースを限定するなど、目的を決めて散策する必要があるでしょう。
グルメについては東大阪は大阪名物の食い倒れの影響を受けてか、たこ焼きや串カツなど、大阪では定番のグルメが非常に多くなっています。特に最近「カレーパン」が東大阪では地産品として大きく取り上げられており、「東大阪といえばカレーパン!」というイメージの定着を目指す運動が行われています。
これには「ハウス食品」の本社があること、またカレーパンの形状がラグビーボールと似ていることから、この様な運動に繋がっています。東大阪に行くときは、必ず押さえておかなければならない商品ですね。
このエリアの東には大阪平野を一望できる「生駒公園」があり、その中でもカップルや子供連れに人気が高い「生駒山上遊園地」は距離的にも近いので、必ず時間があれば立ち寄って欲しい遊びスポットでしょう。
高いところで乗るアミューズメントはそれだけで恐怖感倍増ですので、是非乗り物にもチャレンジしてみてください。ひょっとしたら病みつきになるかもしれません。
ひらかたパークは、大阪府枚方市にある歴史と自然に彩られた関西最大級の遊園地です。通称「ひらパー」として親しまれ、100年以上の歴史を持つ日本最古の遊園地の一つとして知られています。年間の入園者数は約130万人で、関西地方を代表するレジャー施設の一つです。 本施設は43ものアトラクションを配置し、起伏に富んだ地形を活かしています。スリル満点のアトラクション、エンターテイメントに加え、美しいバラ園や動物との触れ合いコーナーも充実しており、小さなお子様から大人まで楽しめる多彩な楽しみが揃っています。一日中飽きることなく過ごせる遊園地です。...»
大阪府民の森ほしだ園地にある人道吊橋「星のブランコ」。この吊橋は、全長280メートル、最大地上高50メートルの木床版吊り橋で、人道吊り橋としては国内最大級の規模を誇ります。 この吊橋は、1997年に行われた「なみはや国体」の山岳競技の登攀会場としてクライミングウォールが整備され、同時期にほしだ園地内に設けられました。 交野市は、七夕伝説や空海の降星伝説の八丁三所、星田妙見宮など、星にまつわる伝承が多くあり、「星のまち交野」とも呼ばれることから、この吊橋に「星のブランコ」という愛称がつけられました。 吊橋からは、美しい里山の景色が眺望でき、スリルを味わえる空中散歩と四季折々の草木や花々など...»
大阪府守口市の伝統野菜である「守口大根」は、豊臣秀吉がその漬物を「守口漬」と名付けたことから、「守口大根」と呼ばれるようになったと伝えられている。大阪天満宮周辺を発祥とすることから「大阪宮前大根」とも称される。長いものでは2m近くにもなる世界一長い大根と言われ、大阪府の「なにわの伝統野菜」に認証されている。現在は、愛知県・岐阜県の木曽川沿いで「守口漬」として販売されるものの都市化の影響で大阪府内では明治以降は栽培が途絶えてしまったが、復活への取組も行われている。 旬 1月 12月 ...»
枚方市は、大阪府北東部、北河内地域に位置する中核市です。この市は、北河内地域の中心的な衛星都市として機能し、江戸時代には京街道(大坂街道)の宿場町である枚方宿が置かれるなど、歴史的にも重要な場所として知られ、多くの文化財や観光名所が点在しています。 かつて人口は約40万人で、大阪市、堺市、東大阪市に次いで府内第4位を誇っていましたが、2019年に40万人を割り込み、現在では豊中市、吹田市に次ぐ第6位となっています。市名の「枚方」の語源については公式には不明とされていますが、『日本書紀』や『播磨国風土記』などの古記にもこの地名が記載されており、古代から使用されてきた地名であることが分かります。...»
片埜神社は、大阪府枚方市にある歴史深い神社です。式内社であり、旧社格は郷社に列せられています。主祭神は建速須佐之男大神と菅原道真であり、他にも多くの神々をお祀りしています。 祭神 片埜神社では、以下の神々が祀られています。 主祭神: 建速須佐之男大神、菅原道真 配神: 櫛稻田姫命、八島士奴美神 その他: 天照皇大神、品陀和氣命、天児屋根命、八幡大神など また、明治時代には近隣の神社を合祀し、さらに多くの神々が祀られるようになりました。 歴史 片埜神社の創建は、古代の垂仁天皇の時代に遡ります。当時、出雲の豪族であった野見宿禰が当地を拝領し、祖神である建速須佐之男大神を祀っ...»
蹉跎神社は、大阪府枚方市に位置する歴史ある神社です。旧社格は郷社で、「跎」の字は「足它」の形で表記されます。神社は、菅原道真公を祭神としており、その神体は道真公自身が彫刻したと伝えられる坐像です。 祭神 菅原道真公が祭神であり、神体は道真公自らが制作したと伝えられる木像です。この像が神社の中心的存在となっています。 神社の歴史 蹉跎山と神社の起源 延喜元年(901年)、菅原道真が大宰府へ左遷される途上、この地で休息を取り、都への未練を抱いたとされています。その地を「菅相塚」(現寝屋川市菅相塚町)と名付けました。また、娘の苅屋姫が後を追いましたが、間に合わず嘆き悲しむ姿から「蹉跎山」と...»
楠葉台場は、大阪府枚方市楠葉中之芝2丁目にある台場跡で、国の史跡として指定されています。この歴史的な場所は、現在「楠葉台場跡史跡公園」として整備され、多くの人々が訪れる観光名所となっています。 概要 楠葉台場は、石清水八幡宮のある男山の西側に位置し、すぐ西には淀川が流れています。また、京阪電気鉄道の橋本駅からも近い場所にあり、アクセスが便利です。この場所は歴史的な背景を持つだけでなく、周囲には久修園院などの名所も点在しています。 特徴 楠葉台場は水堀を備えた稜堡式砲台で、西洋式の要塞の構造を持っています。その面積は約3万8千平方メートルにもおよび、大砲を3門設置していました。京街道を台...»
深北緑地は、大阪府大東市深野北と寝屋川市河北中町にまたがる大阪府営の多目的遊水地として整備された公園です。その広大な面積は約41.0ヘクタールを誇り、平常時は緑地公園としてレクリエーションやスポーツを楽しむ場所として利用されています。一方、大雨時には増水した水を一時的にためる遊水地として機能し、洪水被害を未然に防ぐ重要な役割を担っています。 寝屋川治水緑地としての役割 深北緑地は「寝屋川治水緑地」とも呼ばれ、大東市深野北と寝屋川市河北をまたぐ約50.3ヘクタールのエリアに位置しています。通常時はスポーツやレクリエーションの場として利用される一方、大雨時には河川からの洪水を一時的に貯留するこ...»
山田池公園は、大阪府枚方市に位置する府営都市公園で、大阪府内でも特に広大な敷地を誇ります。この公園は、1200年の歴史を持つ山田池を中心に、自然、歴史、そして家族や友人と楽しめるさまざまな施設を備えています。また、「山田池の月」は枚方八景の一つに選ばれており、美しい景観を楽しむことができます。 山田池公園の概要 山田池公園は、枚方市東部の丘陵地帯に広がり、公園北部に位置する山田池がその名前の由来です。この公園は市道を挟んで北地区と南地区に分かれています。北地区は主に樹木が茂り、自然散策が楽しめるエリアで、南地区は芝生広場やバーベキュー広場などのレクリエーション施設が充実しています。 北地...»
王仁公園は、大阪府枚方市東部に位置する総合公園で、枚方市が管理する公園の中で最も広い面積を誇ります。公園名は、大阪府指定文化財である史跡「伝王仁墓」にちなんで名付けられました。公園全体の面積は約9.3ヘクタール(93,000平方メートル)で、多彩な施設と自然豊かな環境が魅力です。 公園の立地と特徴 公園は小高い場所に位置しており、標高は公園入口で72m、園内の三等三角点「宮山」で76.72mです。天然林を切り開いて造られたため、入口から園内へ続く坂道には高低差がありますが、遊歩道は車椅子でも利用可能です。 王仁公園の施設 王仁公園には、有料施設と無料施設があり、スポーツから自然観察まで...»
くずはモールは、大阪府枚方市樟葉(くずは)花園町に位置するショッピングモールで、京阪ホールディングスの子会社である京阪流通システムズが運営しています。 京阪本線樟葉駅に隣接し、沿線最大級の商業施設として親しまれています。その中でも注目すべきは、 鉄道車両展示スペース「SANZEN-HIROBA」で、歴史的価値のある鉄道車両やシミュレーターが展示されています。 くずはモールの歴史 初代「京阪くずはモール街」(1972年〜2004年) 1972年、樟葉駅前に開業した「京阪くずはモール街」は、日本で珍しい本格的なオープンモール形式で、松坂屋やダイエー、イズミヤを核とした大型商業施設でした。 S...»
枚方T-SITEは、大阪府枚方市にある複合商業施設で、京阪電鉄枚方市駅前に位置しています。この施設は、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の本店および大阪本社所在地でもあり、「街のリビング」をテーマに設計されています。 代官山、湘南に続くT-SITEの3店舗目として、関西では初めての出店となりました。施設はガラスを多用したモダンな外観を持ち、館内には「映え」スポットとして注目される大規模な本棚があります。 施設の特徴 2017年:第37回大阪都市景観建築賞審査員特別賞を受賞 2019年:第60回BCS賞を受賞 施設の歴史と沿革 枚方T-SITEの前身 - 近鉄百貨店...»
寝屋川市は、大阪府の北河内地域に位置し、中核市に指定されています。市名の由来は、古代生駒山麓にあった牧人の「寝屋」から来ています。 現代では住宅や商業施設、町工場が立ち並び、大阪市のベッドタウンとして発展しています。 名所・旧跡 寝屋川市には、歴史的価値のある名所や旧跡が多く存在します。それぞれのスポットは、地域の歴史や文化を感じることができる貴重な場所です。 神社 大利神社 大杜御祖神社 萱島神社 国守神社 寺院 静照寺 高宮廃寺跡 明王院(成田山大阪別院明王院) 成田山不動尊とも呼ばれるこの寺院は、交通安全祈祷で非常に有名です。個人だけでなく、多くの運送...»
大阪府寝屋川市に位置する萱島神社は、樹齢700年と推定される御神木「クスノキ」とともに、地域の歴史と自然を象徴する神社です。そのすぐ隣にある萱島駅も、このクスノキを保存するため独特の設計が施されており、歴史的背景と地域愛が感じられるスポットとして知られています。 萱島神社 神社の概要 萱島神社は、大阪府寝屋川市にある神社で、旧社格は村社に分類されます。京阪本線萱島駅の高架下に位置し、駅のホームを貫くように生えている巨大なクスノキがその特徴です。神社は昭和55年(1980年)に再興され、現在は地域住民に親しまれる憩いの場となっています。 祭神 萱島神社では、以下の三柱を祀っています: ...»
成田山大阪別院明王院は、大阪府寝屋川市成田西町にある真言宗智山派の寺院です。 山号は成田山で、本尊は不動明王です。この寺院は千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院として知られ、成田山不動尊の通称で親しまれています。 創建は1934年(昭和9年)で、近畿三十六不動尊霊場の第28番札所として、多くの参拝者が訪れます。 歴史 大阪別院の誕生背景 明治時代から大阪でも成田山新勝寺への信仰が深まり、昭和に入ると大阪に別院を建立する要望が高まりました。 その要望を受け、当時の大阪府知事の弟である田辺真弘氏が関西信徒を代表して成田山新勝寺に依頼を行いました。 北河内地域の選定 北河内地域は大阪の北東...»
石宝殿古墳は、大阪府寝屋川市打上に位置する国の史跡に指定された古墳です。古墳時代終末期に築造された貴重な遺跡であり、その特徴的な構造や歴史的価値から、多くの研究者や訪問者の注目を集めています。 石宝殿古墳の概要 石宝殿古墳は、大阪府北東部の生駒山地北端に広がる丘陵の斜面上に築造された古墳です。周囲には、打上神社(高良神社)があり、古墳はその裏山に位置します。この古墳は江戸時代から記録に残っており、現代までに実測調査や発掘調査が行われてきました。 墳丘の特徴 現在では墳丘封土が失われていますが、もともとは封土を伴わないとする説や八角形の墳丘であったとする説があります。いずれにせよ、独自性...»
太秦古墳群は、大阪府寝屋川市東部の丘陵地帯に点在する初期群集墳です。その中でも特に「太秦高塚古墳」は、寝屋川市指定史跡として保存されています。他の多くの古墳は残念ながら墳丘を失っていますが、古代の歴史と文化を知る手がかりとして貴重な存在です。 太秦古墳群の位置と概要 太秦古墳群は寝屋川市の東部、太秦高塚町や国守町の丘陵地に広がっています。この地域には古墳時代の円墳と考えられる「太秦高塚古墳」をはじめとする複数の古墳が存在していました。埴輪や須恵器などの出土品がこれを裏付けています。 かつての古墳群の広がり かつてこの一帯には、小金塚、向ヒ塚、廻し塚、モロ塚など、「塚」や「山」が付く地名...»
寝屋古墳は、大阪府寝屋川市寝屋に位置する円墳で、大阪府指定の史跡となっています。この古墳は、6世紀末から7世紀初頭にかけて築造されたと考えられ、北河内地域では最大規模の横穴式石室を持つ重要な遺跡です。 古墳の概要 寝屋古墳は、大阪府北東部の打上川北岸の丘陵南斜面に築かれています。墳丘は直径約22メートル、高さ約5メートルの円墳で、表面には埴輪や葺石が確認されていません。また、北側には幅3メートルの周濠が認められています。 埋葬施設の特徴 埋葬施設は南方向に開口する横穴式石室です。石室全長は約10メートルと推定されており、北河内地域では最大規模となります。石室内には大量の土砂が堆積してお...»
守口市は、大阪府の北河内地域に位置する市で、大阪市に隣接しています。そのため、大阪市のベッドタウンとして発展しつつも、都市雇用圏の一翼を担う衛星都市でもあります。守口市は計量特定市にも指定されており、経済的にも重要な役割を果たしています。 名所・旧跡・観光スポット 守口市は歴史と文化を感じられる名所や旧跡が豊富です。市内には古くから伝わる神社仏閣や文化財が点在し、観光客に魅力的なスポットを提供しています。 高瀬神社 高瀬神社は地域の信仰を集める神社で、地元住民に親しまれています。年間を通じてさまざまな祭事が行われ、訪れる人々に歴史と文化を感じさせます。 来迎寺 来迎寺には府指定有形...»
守口宿は、大坂街道に位置する宿場町で、現在の大阪府守口市本町1・2丁目、竜田通1丁目、浜町1・2丁目付近にあります。ここは、大坂を出発して最初に到達する宿場であり、東海道五十七次としては最終の57番目に数えられる重要な場所です。 概要 守口宿は古くから交通の要所として知られており、元和2年(1616年)に正式に宿駅として指定されました。江戸時代後期の『東海道宿村大概帳』によると、宿場町の全長は南北に11町51間(約1.2km)ありました。この宿場には問屋場1軒、本陣1軒、そして27軒の旅籠が存在していたとされています。 交通と運営 守口宿は大坂から2里(約8km)、枚方宿から3里(約1...»
来迎寺は、大阪府守口市に位置する浄土宗の寺院であり、その山号は「紫雲山」とされています。本尊は「天筆如来」と呼ばれる阿弥陀三尊の絵像で、長い歴史と数々の逸話を持つ寺院として知られています。 寺院の創建とその背景 来迎寺の創建は、正平2年(1347年)に遡ります。当時、融通念仏宗(現在の大念仏宗)の大念仏寺7世である法明上人の弟子、実尊誠阿上人西願が、河内国茨田郡守口村(現在の守口市来迎町)に「天筆如来」を本尊とする来迎堂を建立したことがその始まりです。 「天筆如来」とは、貞観元年(859年)に石清水八幡宮を創建した僧・行教が感得した阿弥陀三尊の姿を写したもので、非常に霊験あらたかな存在と...»
妙楽寺は、大阪府守口市に位置する浄土宗の寺院です。その山号は澄光山と称し、本尊には阿弥陀如来を祀っています。この寺院は地域の歴史と文化に深く根差した存在で、多くの人々に親しまれています。 歴史 妙楽寺の創建は延宝年間(1673年~1681年)にさかのぼります。この時期、洪水によって本堂や庫裏が流失するという災害に見舞われました。しかし、天和2年(1682年)に一空知三唱阿上人(いっくうちさんしょうあしょうにん)によって再建されました。元々は天台宗の寺院でしたが、後に浄土宗へと改宗しています。 妙楽寺の名は、もともと天台宗に由来しており、その歴史的背景を今に伝えています。地域の信仰の中心と...»
高瀬神社は、大阪府守口市に鎮座する由緒ある神社です。式内社としてその歴史を持ち、旧社格は村社です。現在も地域の人々に親しまれ、信仰を集めています。 祭神 主祭神: 天之御中主神天之御中主神は、天地創造の神として古代から崇敬されてきた存在であり、高瀬神社の中心的な信仰対象となっています。 歴史 高瀬神社の起源は聖武天皇の勅願に基づき、行基が高瀬里に創建したとされています。ただし、主祭神の天之御中主神が古代の神であることから、さらに時代を遡る可能性があるとも考えられています。近隣で発掘された流水文様の弥生式土器は西暦紀元前後のものであり、この地で約二千年前から祭祀が行われていたことが示唆さ...»
佐太天神宮は、大阪府守口市佐太中町に位置する由緒ある神社です。旧社格は村社で、「佐太えびす」としても親しまれています。境内は豊かな自然に恵まれ、大阪みどりの百選にも選ばれています。 主祭神 佐太天神宮の主祭神は、学問の神として知られる菅原道真公です。道真公の御霊を祀るこの神社は、地元の人々だけでなく多くの参拝者に親しまれています。 歴史 「佐太天神宮記」によれば、佐太天神宮の地は菅原道真の領地であり、昌泰4年(901年)の昌泰の変で道真が失脚して太宰府へ左遷される途中、この地に立ち寄ったとされています。その際、道真公は自刻の木像と自画像を残し、それが後に神社創建の由来となりました。 ...»
大阪府北河内地域に位置する大東市は、歴史と自然が調和した魅力的な都市です。古代から交通の要衝として発展し、現在もその伝統を活かした観光スポットが数多く存在します。 概要 大東市は、平安時代から大阪と奈良を結ぶ東高野街道の沿線に位置し、交通の要地として栄えてきました。戦国時代には戦乱の舞台となる一方で、江戸時代には治水や新田開発が進められ、商都大阪を支える後背地として発展しました。 市名の由来は、「光は東方より」という古代ローマのことわざから、未来への明るい展望を託したものです。 地理 大東市は生駒山や飯盛山を背にし、市内を寝屋川や恩智川など複数の川が流れています。これらの川や古代の池...»
三箇菅原神社は、大阪府大東市三箇に位置する歴史ある神社です。地域の住民にとって大切な氏神様として崇められており、その背景には長い歴史が刻まれています。 神社の歴史 三箇菅原神社は住道地区の氏神であり、1679年(延宝七年)の「三箇村検地帳」にその名前が記されています。当時は「氏神天満宮」と呼ばれていました。境内には摂社として稲荷社が祀られ、天神様とともに五穀豊穣の神として信仰されています。 また、境内にはかつて曹洞宗宇治興聖寺の末寺である水月院が存在しており、神仏習合の面影を残していました。このような宗教的な多様性は、当時の文化の特徴をよく表しています。 神社の宝物と伝説 三箇菅原神...»
慈眼寺は、大阪府大東市野崎に位置する曹洞宗の寺院です。その山号は福聚山、本尊は十一面観音です。地域では「野崎観音」という通称で広く親しまれています。 概要 慈眼寺は、生駒山地北部の中腹に位置し、境内からは大阪平野の絶景を望むことができます。寺院の敷地内からは、野崎城跡を経て吊り橋を渡り、飯盛山や飯盛山城跡へと続く登山道が整備されています。そのため、休日には登山者も多く参拝に訪れます。 特に5月初頭に行われる無縁経法要は「野崎詣り(のざきまいり)」の通称で知られ、江戸時代から続く伝統行事です。この期間中、境内や周辺は参拝客で大変な賑わいを見せます。また、座禅会や写経会といった修行体験も定期...»
須波麻神社は、大阪府大東市中垣内に位置する神社で、古代からの歴史を有する重要な宗教的拠点です。式内社として平安時代の「延喜式神名帳」にも記載されており、地域の人々に深く信仰されています。旧社格は郷社で、現在でも地元の産土神として多くの人々に親しまれています。 歴史と背景 須波麻神社の創建時期は不明ですが、伝承によれば、出雲大社と同体であったとされ、古くは10月7日に大祭が行われていたとのことです。平安時代の「延喜式神名帳」に記載されており、大東市内では唯一の式内社として位置づけられています。かつては讃良郡から若江郡にかけて、数十の村々が氏子となり、広範な信仰を集めていました。 明治6年(...»
飯盛山城は、大阪府大東市と四條畷市にまたがる飯盛山(標高315.9m)に築かれた山城で、その別名は「飯盛城」とも呼ばれ、中世から戦国時代にかけて重要な役割を果たしました。この城は、2021年10月11日に国の史跡に指定され、2017年には「続日本100名城」にも選ばれています。 中世の山城としての特徴 飯盛山城は、河内国讃良郡に位置し、河内と大和を隔てる生駒山脈の北西支脈に築かれました。中世における山城の中でも大規模で、強固な要塞として知られていました。城郭は南北約1,200m、東西約500mにも及び、70以上の曲輪が確認されています。 飯盛山城の歴史 南北朝時代 飯盛山城の歴史は、...»
門真市は、大阪府北河内地域に位置する都市で、大阪市に隣接するベッドタウンの一つです。また、都市雇用圏の中心としても重要な役割を果たしています。市内にはパナソニックの本社があり、企業城下町としての歴史も持つこの街には、興味深い歴史や文化があります。 名所・旧跡 自然と歴史が融合したスポット 三島神社の薫蓋樟(三ツ島) 大阪府内で最大の幹周を誇るクスノキの巨樹で、国の天然記念物に指定されています。「大阪みどりの百選」にも選ばれており、訪れる人々を魅了します。 砂子水路の桜(三ツ島) 「大阪みどりの百選」に選ばれた美しい桜並木。春になると多くの観光客が訪れる門真市の桜の名所です。 稗島...»
パナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館は、大阪府門真市に位置するパナソニックが運営する企業博物館です。1968年3月に松下電器産業(現在のパナソニック)の創業50周年記念事業の一環として開設され、当初は「松下電器歴史館」と呼ばれていました。その後、パナソニックへの社名変更に伴い、2008年10月1日に現在の名称に改められました。 リニューアルと新たな施設 2017年10月には一時閉館し、2018年3月に再開されました。この際、施設全体が「パナソニック ミュージアム」として再構築され、「松下幸之助館」という新たな施設が設けられました。これにより、従来の歴史館は「ものづくりイズム館」に生ま...»
三島神社は、大阪府門真市に位置する歴史ある神社です。この神社は、地元の人々に親しまれ、古くから信仰の対象とされてきました。特に、境内にある巨大なクスノキ「薫蓋樟(くんがいしょう)」が有名で、神社の魅力を一層引き立てています。 歴史 三島神社の創建時期は不明ですが、古くは「山王権現」と呼ばれていました。明治3年4月に「三島(三ッ島/三嶋)神社」と改称され、近代における神社の改革の一環として社名が統一されました。 明治5年には郷社に列せられ、地域の重要な神社として位置づけられました。その後、明治41年8月には稗島にある堤根神社(祭神:天照皇大神)が合祀されましたが、昭和28年には住民の希望に...»
願得寺は、大阪府門真市御堂町にある真宗大谷派の仏教寺院です。山号は光明山で、本尊は阿弥陀如来です。地域の歴史や文化に深く根差した寺院として、多くの参拝者に親しまれています。 寺院の概要 願得寺は、真宗念仏の教えを広めるために建立された寺院であり、歴史的・文化的価値の高い建造物や遺物が多数残されています。現在では、本堂を中心とした建築群や文化財が見どころとなっています。 願得寺の沿革 創建の歴史 願得寺の起源は、文明10年(1478年)に遡ります。この年、本願寺第8世法主蓮如が、当地に「古橋御坊」を設立しました。その後、明応元年(1492年)に再建され、護持されました。 寺号の由来 ...»
黄梅寺(黄梅禅寺)は、大阪府門真市に位置する曹洞宗の仏教寺院です。その山号は真手山(まてさん)、本尊は聖観世音菩薩坐像が祀られています。本寺院は地域の歴史と深く関わり、多くの文化財や仏教的教えを後世に伝えています。 黄梅寺の歴史 創建と起源 黄梅寺の創建については諸説があります。一説によれば、天文15年(1546年)、足利義輝(あしかがよしてる)によって建立されたとされています。一方、別の説では、明応2年(1493年)に室町幕府管領・畠山政長(はたけやままさなが)の次男である久俊が、母と共に門真に避難し、この地で創建したと記録されています。 黄梅寺と平安時代の関わり 黄梅寺は平安時代...»
堤根神社は、大阪府門真市に位置する歴史ある神社です。この神社は茨田堤(まんだのつつみ)の鎮守として創建されたと伝えられ、平安時代の『延喜式神名帳』にも記載された式内社の一つです。ただし、門真市内には「堤根神社」を名乗る神社が2つ存在し、どちらも式内社であると称しています。 宮野町の堤根神社 概要と歴史 門真市宮野町に鎮座する堤根神社は、淀川の支流である古川の南岸、かつての茨田堤の近くに位置します。旧社格は村社で、祭神として彦八井耳命(ひこやいみみのみこと)と菅原道真(すがわらのみちざね)が祀られています。 茨田堤の築造に関わった茨田氏が、この堤の守護として祖神である彦八井耳命を祀ったの...»
四條畷市は大阪府北河内地域に位置する都市で、大阪市から約15kmに位置します。市域の約3分の2は生駒山地の一部であり、自然豊かな環境に囲まれています。市中心部は生駒山地の西麓に広がり、東部の田原地区は大阪府唯一の生駒山地東麓に位置しています。 名所・旧跡 小楠公御墓所(楠木正行の墓) 小楠公御墓所は、南北朝時代の英雄である楠木正行(小楠公)の墓であり、大阪府指定文化財(史跡)に指定されています。楠木正行は、父である楠木正成とともに朝廷のために戦い、その忠義と勇敢な姿は今も多くの人々に敬われています。この墓所は、歴史愛好家にとって見逃せない場所です。 小楠公の楠 小楠公御墓所の近くに立...»
小楠公御墓所は、大阪府四條畷市に位置する、南北朝時代の南朝の武将・楠木正行(くすのき まさつら)の墓所です。この地は、日本の歴史において「忠君愛国」の象徴として称えられ、多くの歴史愛好家や観光客が訪れる場所となっています。 概要 楠木正行が最期を迎えたこの場所は、正平3年(1348年)または貞和4年(1348年)に起きた四條畷の戦いの際、自害した地とされています。現在の住所は大阪府四條畷市雁屋南町27番5号で、戦場跡としての歴史的な価値とともに、楠木正行の精神を後世に伝える役割を果たしています。 「忠君愛国」の象徴として 楠木正行の父である楠木正成(くすのきまさしげ)は、明治時代の政府...»
四條畷神社は、大阪府四條畷市に位置する歴史ある神社です。旧社格は別格官幣社であり、現在は神社本庁の別表神社の一つに数えられています。また、建武中興十五社の一社として、南北朝時代の歴史と深く結びついています。さらに、大阪みどりの百選にも選ばれており、地元の人々からも観光客からも愛されるスポットとなっています。 主祭神とその由来 四條畷神社の主祭神は、南朝の忠臣として知られる楠木正行(くすのきまさつら)公です。正行公は、四條畷の戦いで北朝軍に敗れた後、この地で自害しました。父である楠木正成(くすのき まさしげ)公が「大楠公」と称されるのに対し、正行公は「小楠公」として敬われています。地元では「...»
忍陵神社は、大阪府四條畷市岡山にある格式高い神社です。式内社に指定され、旧社格は村社に属します。神社の名前は、付近にあるJR学研都市線の「忍ケ丘駅」の駅名の由来ともなっています。また、「にんりょう じんじゃ」と呼ばれることもあります。 歴史と由来 忍陵神社は、明治44年に津桙(つほこ)神社が近隣の2つの神社を合祀し、現在の名称へ改称されたものです。津桙神社の創建時期は不明ですが、古代豪族である津桙氏が祖神を祀ったものが始まりとされ、その後、応神天皇を氏神とするようになったと考えられています。江戸時代には「新宮大権現」とも称され、熊野信仰が広がる平安時代には熊野大神が合祀されました。 遷座...»
忍岡古墳は、大阪府四條畷市岡山に位置する前方後円墳で、大阪府指定史跡に指定されています。その歴史的背景や規模、埋葬施設、副葬品などから、古墳時代前期における地域の首長やヤマト王権との関わりを示す重要な遺跡として注目されています。 古墳の概要 忍岡古墳は、大阪府北東部の忍ヶ岡丘陵の北西端に築かれました。墳頂には延喜式内社である忍陵神社が鎮座しており、古墳自体はこれまでの歴史の中で改変や盗掘の被害を受けています。1935年(昭和10年)には発掘調査が実施され、墳丘や埋葬施設の詳細が明らかになりました。 墳形と規模 前方部を北方向に向けた前方後円形の墳丘で、2段築成されています。後円部では円...»
交野市は、大阪府北河内地域に位置する市で、歴史や自然、文化に恵まれた地域です。この地域には多くの名所・旧跡が点在しており、観光やレジャーの目的地としても魅力的です。また、季節ごとに多彩な祭りが開催され、地元住民や観光客に親しまれています。 名所・旧跡 交野市には、歴史的価値の高い建造物や自然の美しさを堪能できる場所が数多くあります。 自然名所 源氏の滝 - その涼しげな流れと豊かな自然が訪れる人々を癒します。 月の輪滝 - 美しい水のカーテンが見る者を魅了します。 神社仏閣 機物神社 - 七夕伝説に深く関連し、毎年多くの参拝者が訪れます。 開元寺(岩倉開元寺) - ...»
権現の滝は、大阪府四條畷市にある自然豊かな滝で、権現川の一部として知られています。落差約15メートルのこの滝は、地元住民だけでなく観光客にも親しまれるスポットです。 概要 権現の滝の基本情報 権現の滝は、大阪府四條畷市に位置し、寝屋川の支流である権現川にかかる滝です。高さ15メートルの落差を誇り、自然の迫力を体感できる場所となっています。周辺は「大阪府民の森 むろいけ園地」(別名:緑の文化園)として整備されており、訪れる人々に自然の癒しを提供しています。 伝説の背景 権現の滝はその美しさだけでなく、奈良時代の行基(ぎょうき)にまつわる伝説で有名です。滝の名前は、この伝説に由来しており...»
源氏の滝は、大阪府交野市に位置する免除川にある美しい滝で、その落差は17.5メートルにも及びます。この滝は「大阪みどりの百選」にも選ばれ、豊かな自然と文化的な背景で多くの人々を魅了しています。 概要 源氏の滝は、交野山の麓にある白旗池を源流とする滝です。滝の周辺には広葉樹が生い茂り、季節ごとに異なる美しい風景を楽しむことができます。また、「交野八景」の一つにも選ばれています。 見どころ 夜泣き石 - 悲しい姫にまつわる伝説が伝えられる神秘的な石。 不動明王の梵字と石仏 - 巨石に刻まれた梵字や石仏が神秘的な雰囲気を演出しています。 源氏の滝の名前の由来は、かつてこの地にあっ...»
月の輪滝は、大阪府交野市に位置する美しい滝で、尺治川沿いに広がる自然の一部です。その落差は6メートルと控えめながらも、滝周辺の緑豊かな風景との調和が見事で、多くの観光客やハイカーが訪れています。この滝は「交野八景」の一つに数えられ、地域のシンボルとも言える存在です。 月の輪滝の概要 月の輪滝は私市駅から大阪府民の森「くろんど園地」へのハイキングコース上にあり、アクセスが良好な自然スポットです。かつては僧侶たちの修行の場としても利用され、「金剛の滝」という別名を持ちます。この滝を含む尺治川の流域は、古来より神聖な場所とされ、大岩や滝が信仰の対象となっていました。その神秘的な魅力が現在でも人々...»
機物神社は、大阪府交野市倉治に位置する由緒ある神社です。織姫にあたる祭神「天棚機比売大神」を祀り、七夕に関する伝説や行事で知られています。長い歴史の中で地域住民から深い信仰を集めてきました。 機物神社の概要 神社の特徴 機物神社は「七夕伝説」に関連し、織姫の神霊を祀る神社として全国的にも特異な存在です。特に7月7日に行われる七夕祭では、織姫伝説にちなむ行事が執り行われ、多くの参拝者で賑わいます。 機物神社の由緒 創建の歴史 機物神社の正確な創建年代は不詳ですが、室町時代には卜部兼倶による奉幣が行われた記録があり、格式高い神社として認識されていました。 江戸時代の史料には「はたほこ大...»
磐船神社は、大阪府交野市に位置する神社で、天野川の渓谷沿いに佇む歴史深い神社です。その御神体である「天の磐船(あめのいわふね)」は、高さ約12メートル、長さ約12メートルの舟形巨岩で、天野川を跨ぐように横たわっています。岩船神社や岩所神社とも呼ばれるこの神社は、歴史的、文化的な魅力が豊富で、地元住民や観光客に親しまれています。 磐船神社の概要 磐船神社は、天照国照彦天火明櫛玉神饒速日命(にぎはやひのみこと)を主祭神として祀っています。この神社の起源は古く、正確な創建年代は不明ですが、伝承によれば、饒速日命が「天の磐船」に乗って降臨された地とされています。 御神体「天の磐船」 磐船神社の...»
星田神社は、大阪府交野市星田に位置する歴史ある神社で、旧社格は村社に属しています。主に住吉四神と交野物部氏の祖神を祀り、地域の人々から深い信仰を集めてきました。 主祭神 星田神社の主祭神は次の通りです。 底筒男命 中筒男命 表筒男命 神功皇后 星田神社の歴史 創建と由緒 星田神社の創建年代は明確ではありませんが、社伝によると、現在の本殿に祀られる住吉四神が祀られる以前、この地には一本の大杉がありました。この大杉は交野物部氏の祖である饒速日命を氏神として祀る場として、地域の人々から「交野大明神」として崇敬されていました。 その後、大杉が枯れた後も、その芯を神体として祀...»
小松神社は、大阪府交野市星田に位置する神社で、「星田妙見宮」の別名でも知られています。生駒山系に残る数少ない磐座信仰の霊場として、その歴史と自然環境が多くの参拝者を魅了しています。 祭神は天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、高皇産霊大神(たかみむすびのおおかみ)、神皇産霊大神(かみむすびのおおかみ)で、かつては仏教では北辰妙見大菩薩、陰陽道では太上神仙鎮宅霊符神として信仰されていました。 歴史 空海と七曜の星 伝承によれば、平安時代の弘仁年間(810年~823年)に、弘法大師空海がこの地を訪れ、獅子窟寺吉祥院の獅子の窟で秘法を唱えたところ、天上から北斗七星が降り注ぎ、その一つ...»
獅子窟寺は、大阪府交野市に位置する高野山真言宗の寺院で、山号は普見山。本尊は薬師如来です。この寺院は生駒山塊の普見山中にあり、周囲には寺名の由来となった獅子が吼えるような形の岩をはじめとする巨石群が点在しています。 概要 獅子窟寺は、自然と調和した山岳寺院として知られ、多くの参拝者や歴史愛好家を魅了しています。その文化財や歴史的背景に触れることで、過去の日本の宗教文化を深く知ることができます。 歴史 創建と伝説 獅子窟寺の起源については、黄檗僧・月潭による『獅子窟寺記』(元禄5年、1692年)や僧・真海による『獅子窟寺縁起』(永正4年、1507年)に記されています。これによれば、寺は...»
交野城は、大阪府交野市私部に位置していた日本の城(平城)で、別名を私部城といいます。交野市指定史跡にも指定されており、地域の重要な歴史遺産として注目されています。 概要 交野城は、交野市の北方に広がる丘陵地帯に位置し、免除川の南側に築かれました。発掘調査の成果から、永禄期(1558年~1570年)頃に築城されたと考えられていますが、正確な築城時期には諸説があります。築城主としては、河内の有力者である安見宗房の一族、安見右近の名が挙げられます。 廃城時期についても明確な記録は残されていませんが、織田信長の本能寺の変以後に廃された可能性が指摘されています。 名称について 交野城は「片野」...»
大阪府民の森 くろんど園地は、大阪府交野市に位置する自然公園で、大阪府が指定する「大阪府民の森」のひとつです。「くろんどの森」とも呼ばれ、「大阪みどりの百選」に選定されています。 この園地は、金剛生駒紀泉国定公園の一角に位置し、大阪府と奈良県の府県境に沿う国道168号の東側の山麓地帯に広がっています。中心には奈良県生駒市の「くろんど池」があり、池を起点にさまざまなハイキングコースが整備されています。 特に、湿地帯に架かる「八ッ橋」では、春になるとミズバショウが美しく咲き誇り、多くの訪問者を魅了します。また、「月の輪滝」といった自然の見どころも豊富です。 アクセスのポイント 京阪「私市駅...»
大阪公立大学附属植物園は、大阪府交野市に位置する植物園で、大阪公立大学の研究施設の一部として運営されています。一般公開も行われており、自然豊かな環境の中で多種多様な植物を楽しむことができます。 植物園の歴史 この植物園の前身は、1941年(昭和16年)に開設された「大阪市興亜拓殖訓練道場」であり、戦後の1945年9月には「大阪市立農事練習所」となりました。その後、1950年に大阪市立大学に移管され、「理工学部附属植物園」として設立されました。園長を務めた三木茂博士は、植物学の分野で多くの功績を残しました。 2021年には「附属植物園」に名称が変更され、2022年に大阪市立大学と大阪府立大...»
東大阪市は、大阪府中河内地域に位置する市で、大阪市の東側に隣接しています。その市域の東側は生駒山地に属し、奈良県と府県境を接しています。 中核市に指定されており、約48万人の人口を抱えています。大阪府内では、大阪市、堺市に次ぐ第3位の人口規模を誇ります。大阪市の衛星都市・ベッドタウンであると同時に、大阪都市圏の中心都市の一角を担っています。 また、東大阪市は「ラグビーの聖地」として知られる東大阪市花園ラグビー場を擁し、「ラグビーのまち」として全国的に名高いです。一方で、高い技術を持つ中小製造業が多数集積し、「ものづくりのまち」としても知られています。 名所・旧跡・観光スポット 記念館・...»
司馬遼太郎記念館は、大阪府東大阪市下小阪に位置し、作家・司馬遼太郎の業績を広く伝えるために設立された博物館です。自宅敷地に建設されたこの記念館は、大阪府の登録博物館に指定されています。 概要 記念館内には、司馬遼太郎が所有していた6万冊にも及ぶ膨大な蔵書が保管され、その一部が展示されています。また、執筆に使用した書斎は、生前の状態をそのまま保存しており、雑木林風の庭を通して見学できます。この庭は、司馬遼太郎が好んだ自然の風景を再現したものです。 さらに、建築家・安藤忠雄氏が設計した展示室には、高さ11メートルの巨大書架が設置されており、約2万冊の蔵書や自著が並べられています。また、直筆原...»
樟徳館は、大阪府東大阪市に位置する歴史的な建造物であり、主屋を含む6棟の建物が国の登録有形文化財に指定されています。この館は、樟蔭学園(現在の大阪樟蔭女子大学の経営母体)の創設者である森平蔵氏の邸宅として、1932年(昭和7年)に建設されました。 建築の特徴と素材 樟徳館の建築に使用された素材は、日本各地の著名な産地から取り寄せられたもので、三陸、木曽、吉野、日向などから選び抜かれた原木が使われています。主屋には松材、仏間には杉や檜が用いられ、全国から集まった棟梁たちが技術を競い合って建築に携わったと言われています。また、内装は和洋折衷の意匠が取り入れられており、大正モダン文化の影響を強く...»
生駒山(いこまやま・いこまさん)は、奈良県生駒市と大阪府東大阪市との県境に位置する標高642mの山で、生駒山地の主峰として知られています。その歴史は古く、日本書紀における神武東征の一節に登場し、神日本磐余彦尊と長髄彦が山麓で激戦を繰り広げた場として記録されています。山頂には一等三角点が設置されており、奈良県側に位置しています。 山上には「生駒山上遊園地」があり、多くの観光客に親しまれています。また、山上および中腹には、大阪府と奈良県にあるテレビ局の送信所がそれぞれ設置され、京阪神エリアと奈良県の広域に電波を送っています。さらに、かつては企業の保養所や別荘地としても利用され、多くの建物が設けら...»
暗峠は、奈良県生駒市西畑町と大阪府東大阪市東豊浦町との境に位置する、国道308号および大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線(重複)の峠です。この峠は標高455メートルにあり、古くは「闇峠」とも表記されていました。 暗峠の概要 暗峠は、歴史的に暗越奈良街道の一部として知られ、生駒山地を越える難所として多くの旅人に利用されてきました。この峠は、つづら折りの少ない直線的な急勾配が続くため、特に大阪府側からの道は厳しい登り勾配が特徴的です。約2.5kmにわたる急坂が峠まで続きますが、その沿道や道端には歴史的なモニュメントや石仏、古寺などが点在しており、歴史と自然の趣を感じられる場所です。 峠...»
枚岡神社は、大阪府東大阪市出雲井町に位置する由緒ある神社です。式内社(名神大社)であり、河内国一宮として古くから崇敬を集めてきました。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社に指定されています。生駒山地の西麓に鎮座し、背後には神津嶽という神聖な山岳があります。枚岡神社は中臣氏の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を主祭神とする古社であり、歴史的にも文化的にも重要な位置を占めています。 歴史的背景と元春日との関係 中臣氏の氏神としての始まり 枚岡神社の始まりは、神津嶽での山岳信仰に起因するとされます。天児屋根命は古代氏族である中臣氏の祖神であり、中臣氏の守護神として信仰されてき...»
枚岡公園は、大阪府東大阪市に位置する都市公園(風致公園)であり、1938年(昭和13年)に開設されました。生駒山系の枚岡山と額田山という2つの尾根にまたがる広大な敷地を誇り、面積は約43.8ヘクタールにも及びます。公園の中心部を流れる暗渓(豊浦川)を囲む豊かな自然は四季折々の美しさを楽しめる魅力的なスポットです。 昭和33年には、金剛生駒国定公園の指定に伴い、枚岡公園全域も国定公園の一部として認定されました。また、春には満開の桜が咲き誇る「桜の名所」としても知られており、多くの観光客が訪れる人気スポットです。 公園の特徴と見どころ 四季折々の自然 枚岡公園では、春の桜やツツジ、夏の新緑...»
石切劔箭神社は、大阪府東大阪市に位置する神社で、神道石切教の総本山として知られています。地元では「石切さん」や「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれています。 概要 石切劔箭神社は、延喜式神名帳に記載されている式内社「石切劔箭命神社二座」であり、旧社格は村社です。所在地は大阪府東大阪市東石切町にあります。 歴史 創建と伝承 石切劔箭神社の創建年代は不明ですが、伝承によれば、皇紀2年に生駒山中の宮山で可美真手命が饒速日尊を奉祀したことが起源とされています。その後、崇神天皇の時代に現社地へ遷座されたと伝えられています。 平安時代から室町時代 平安時代には『日本三代実録』に、貞観7年...»
瓢箪山稲荷神社は、大阪府東大阪市瓢箪山町に位置する由緒ある神社です。「日本三稲荷」の一つとされ、特に辻占の総本社として知られています。本来の表記は「瓢簞山稲荷神社」ですが、現在の表記が一般的です。 この神社は、古代の歴史や文化と深く結びついており、地域住民や訪れる人々に親しまれています。 歴史 創建の由来 瓢箪山稲荷神社は天正11年(1583年)、羽柴秀吉によって創建されました。大坂城築城の際、城の南東にあたる巽の方角に鎮護神として伏見城から「ふくべ稲荷」を勧請したのが始まりです。 現在の本殿は慶応2年(1866年)に再建されたもので、美しい建築様式が特徴です。 瓢箪山古墳との関係...»
往生院は、大阪府東大阪市六万寺町にある臨済宗系単立の寺院で、山号は岩瀧山、本尊は阿弥陀如来です。寺号として六萬寺の名でも知られています。歴史的・文化的価値が高く、多くの人々が訪れる観光名所としても知られています。 歴史 創建と発展 この地は6世紀末頃に善信尼が建立した桜井寺があったとされ、桜井寺の跡地に聖武天皇の勅願で行基が天平17年(745年)に薬師如来を本尊とする六萬寺を創建しました。当時は封境70戸や寺田百畝が寄進されるなど隆盛を誇りましたが、その後衰退を経験します。 中世の再興と栄光 宇多天皇の勅願により伽藍が修復され、食邑30余町が寄進されて復興しましたが、天慶年間(938...»
鴻池新田は、大阪の豪商である鴻池家三代目・善右衛門宗利が開発した広大な新田地帯です。この地は、 大和川付け替え工事によって形成された土地の中でも、最大規模を誇ります。開発工事は宝永2年(1705年)に開始され、 翌年には新田を管理するための施設「鴻池新田会所」が建設されました。 鴻池新田は、河内国(現在の大阪府東大阪市)の重要な開発地として知られており、米作を中心とした農業地帯として繁栄しました。 当時の鴻池新田には8軒ほどの農民が入植し、その後さらに10数軒が移住しました。村の名前を冠した婚姻や交流が盛んで、 地域社会としての結束が強かったことも特徴的です。 大和川付け替え工事と新田開発...»
若江城は、河内国若江郡(現在の大阪府東大阪市若江南町)に存在した平城です。南北朝時代の1382年に築城され、安土桃山時代の1583年までおよそ200年間にわたりその役割を果たしました。河内国の経営を担当した守護代・遊佐氏が歴代城主を務め、畠山氏の河内経営の拠点として機能しました。 城名の由来 若江という地名は、河内国若江郡に由来します。伝承によると、神功皇后の時代に大旱魃が発生し、この地域の農作物が深刻な被害を受ける可能性がありました。その際、大般若経を唱えながら雨乞いの祈願を行ったところ、14日目に清水が湧き出し、農作物の被害を防ぐことができました。この「大般若経の若」と「清水の源である...»
山畑古墳群は、大阪府東大阪市南東部(上四条町や瓢箪山町付近)に広がる群集墳で、東大阪市内では最大規模を誇ります。 6世紀後半から7世紀初頭にかけて築かれたとされ、主に直径10~15m程度の円墳で構成されていますが、双円墳や上円下方墳も含まれています。 かつては100基以上存在したとされますが、住宅開発などで破壊され、現在では約70基が確認されています。 この古墳群の大部分は東大阪市立郷土博物館の周囲に密集しており、基本的に横穴式石室を有しています。 発掘調査では多くの古墳から馬具類が出土しており、この地域が馬の飼育を行っていた渡来系氏族「馬飼部」の勢力地であったと考えられています。 これらの...»
日下貝塚、または日下遺跡は、大阪府東大阪市日下町に所在する複合遺跡です。 この遺跡は、縄文時代から古墳時代にわたる広範な歴史的価値を持ち、1972年(昭和47年)7月26日に国の史跡に指定されています。 遺跡の概要 「日下遺跡」として全域が埋蔵文化財包蔵地として周知されていますが、特に縄文時代の貝塚を中心とする部分が「日下貝塚」として知られています。 遺跡の立地は、生駒山地西麓の日下川右岸の標高約23.8メートルの扇状地末端部に位置しています。 地理的特徴 約6000~5000年前の縄文時代前期には、この地域は海に近い場所に位置していました。これは、縄文海進により海水が河内平野に進入し...»
小阪城は、大阪府東大阪市小阪に位置する城郭風の建造物です。理髪店を営む家主(以下「城主」)が廃材を活用し、自力で建てた自宅兼店舗であり、歴史的な背景を持たない独自の建築物です。 城の名前がついているものの、建物全体が城郭風にデザインされており、地域の目印として親しまれています。 建築の経緯 理髪店から城郭への進化 小阪城は、城主の父が1932年に創業した理髪店を原点とします。城主は1970年代に経営を引き継ぎ、廃材を用いて店舗の改装を行い、その余った資材で物置を屋上に建設しました。物置が増えるにつれて、それらを櫓型に改造することを思いつき、やがて五層の天守閣を完成させました。 内装の工...»
花園中央公園は、大阪府東大阪市に位置する都市公園です。同市が所有し整備を行い、市民の憩いの場として活用されています。南東部を除くほとんどのエリアは恩智川の遊水地であり、「花園多目的遊水地」としても知られています。 また、公園は日本のラグビー発祥の地である「花園ラグビー場」に隣接しており、多くのスポーツやイベントの拠点となっています。 指定管理者制度の導入 公園内の各施設は指定管理者制度を採用しており、運営管理は以下の通りです: 花園中央公園野球場・多目的球技広場: 株式会社美交工業(2018年4月1日〜2023年3月31日) 東大阪市市民美術センター: 公益財団法人東大阪市文化振...»
石切温泉は、大阪府東大阪市上石切町に位置する温泉です。生駒山の麓にあり、静かな自然環境の中でリラックスできる温泉地として知られています。温泉地には日帰り入浴も可能な一軒宿「ホテルセイリュウ」があり、宿泊客だけでなく多くの観光客に親しまれています。 泉質と温泉の特徴 泉質:単純放射能冷鉱泉 泉温:17.5℃ 石切温泉の特徴は、ラジウムを含む泉質です。この温泉は体を芯から温め、リラックス効果や健康増進に寄与するとされています。また、露天風呂からは大阪平野の美しい夜景を楽しむことができ、心身共に癒されるひとときを提供します。 「ホテルセイリュウ」の魅力 生駒山の自然に囲まれた「ホテルセイリ...»
八尾市は、大阪府の中河内地域に位置する市で、中核市に指定されています。大阪市の東南部に隣接し、豊かな自然環境と歴史的背景を持つ街として知られています。平野部から山岳地帯まで多様な地形を有し、独自の文化と産業が発展してきました。多くの観光名所や施設が点在しています。 神社・仏閣 八尾市は、多くの神社や仏閣が存在し、それぞれの歴史や特色が訪れる人々を魅了します。 主要な神社 矢作神社 - 美しいイチョウが特徴で、市の刊行物の表紙を飾ることもあります。 穴太神社 天照大神高座神社 - 岩戸神社も含まれています。 恩智神社 - 恩智城跡としても有名です。 樟本神社(木の本、北木の本...»
久宝寺緑地は、大阪府八尾市西久宝寺、東大阪市大蓮南、大阪市平野区加美東にまたがる広大な都市公園です。大阪府における主要な都市緑地の一つであり、1941年の防空緑地計画に由来する「大阪四大緑地」(服部・鶴見・久宝寺・大泉)の一つとして知られています。 エリア構成 久宝寺緑地は大きく3つのエリア、「北エリア」「中エリア」「東エリア」に分かれ、それぞれ「ファミリーゾーン」「スポーツゾーン」「プレイゾーン」として親しまれています。 北エリア 北エリアには、「まいまい広場」と呼ばれるカタツムリをイメージした遊具や、大型複合遊具が揃う「もくもく元気広場」があります。これらは子どもたちに大人気のスポ...»
玉串川は、大阪府を流れる淀川水系の農業用排水路であり、法定外公共物に指定されています。長瀬川と共に「農林水産省の疎水百選」に選ばれ、その歴史や美しい桜並木で知られています。 地理 玉串川は大阪府八尾市二俣で長瀬川から分流し、八尾市中央部を北上します。そして、東大阪市玉串元町で第二寝屋川に合流します。川幅はおおむね5メートルほどで、護岸は石積みやブロックで整備されています。 歴史 玉串川の歴史は天平勝宝6年(754年)に遡ります。当時、風雨を鎮めるために「玉櫛笥(たまくしげ)」が旧大和川上流より流され、津原(現在の花園本町)の池にたどり着いたことが川の名前の由来とされています。その後、津...»
天照大神高座神社と岩戸神社は、大阪府八尾市大字教興寺にある隣接した神社です。両神社は境内の境界線がはっきりしておらず、参道石段の脇から互いの境内を行き来できる構造になっています。そのため、一見すると別々の神社であることに気付かない方もいらっしゃるかもしれません。しかし、両神社は歴史的にも密接な関係があり、それぞれに独自の特色を持ちながらも共通の信仰文化を育んできました。 天照大神高座神社 位置と概要 天照大神高座神社は、八尾市南東部の高安山中腹に位置しています。旧社格は村社であり、古くから「式内 高御座神社」として知られていました。『神名帳』には「河内国高安郡天照大神高座神社ニ座、並大月...»
恵光寺は、大阪府八尾市に位置する浄土真宗本願寺派に属する仏教寺院で、通称「萱振御坊」として知られています。その歴史は、蓮如上人の布教活動に深く結びついており、多くの門徒たちから親しまれています。 恵光寺の歴史と概要 建立の経緯 恵光寺は、蓮如上人が河内国で布教活動を行う中で、その6男である蓮淳法師が開基となり建立されたとされています。建立年については諸説あり、1470年(文明2年)、1469年~1489年(文明年間)、または1496年(明応5年)とされていますが、公式には1470年を建立年としています。 戦国時代と萱振の寺内町 戦国時代には、萱振は恵光寺を中心とした寺内町として発展し...»
恩智神社は、大阪府八尾市恩智中町に位置する歴史ある神社です。古くは式内社(名神大社)であり、河内国の二宮と伝えられています。その旧社格は府社で、現在も地域の人々に親しまれています。また、神使は兎と龍とされ、独特の神秘性を持つ神社です。 祭神 恩智神社の現在の祭神は次の2柱です。 大御食津彦大神(おおみけつひこのおおかみ、大御食津彦命) 大御食津姫大神(おおみけつひめのおおかみ、大御食津姫命) 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳における祭神の記載は2座とされ、『日本文徳天皇実録』や『日本三代実録』に基づくと、この2柱が恩智神社の主要な神々であることが確認されています。「...»
教興寺は、大阪府八尾市に位置する真言律宗の寺院で、奈良市の西大寺を本山とする末寺です。山号は獅子吼山(ししくさん)で、地元では「藪寺」という愛称で親しまれています。この名は、かつて境内に藪が多く生えていたことに由来しています。 教興寺の歴史 創建と聖徳太子の祈願 教興寺の始まりは、崇峻天皇元年(588年)に遡ります。寺伝によれば、聖徳太子が物部守屋討伐の祈願を行うため、秦河勝に命じて創建したとされています。この由緒ある寺は、仏教の隆盛と共にその重要性を高めていきました。 中世の荒廃と叡尊による復興 中世に入ると、教興寺は荒廃の一途をたどりました。しかし、鎌倉時代に奈良・西大寺の叡尊が...»
樟本神社は、大阪府八尾市に鎮座する神社です。延喜式神名帳に「樟本神社 三座 鍬靱 河内国志紀郡鎮座」と記載された式内社で、現在は八尾市の木の本(旧丹北郡)、北木の本、南木の本(旧志紀郡)の3箇所に分かれて存在しています。それぞれに深い歴史と地域に根ざした信仰が息づいています。 概要 樟本神社の創建は古墳時代以前にまで遡るとされ、具体的な年代は不詳です。古来、祭神は木霊(こだま)とされていましたが、後に布都大神(ふつのおおかみ)、饒速日命(にぎはやひのみこと)へと変わりました。特に当地が物部氏の旧領地であったことから、用明天皇の時代に物部守屋が守護神として信仰した神々が祀られたと考えられてい...»
顕証寺は、大阪府八尾市久宝寺にある浄土真宗本願寺派の寺院です。山号は近松山で、本尊は阿弥陀如来が安置されています。また、「久宝寺御坊」とも呼ばれ、かつては周囲に寺内町を形成していました。現在でもその町並みが残り、歴史と文化を感じさせる魅力的な場所となっています。 概要 顕証寺は、浄土真宗本願寺派の寺院として重要な役割を果たしてきました。所在地は大阪府八尾市久宝寺4丁目4-3にあり、久宝寺駅や久宝寺口駅から徒歩圏内でアクセスしやすい立地です。その歴史は非常に深く、寺院や周辺地域の文化や信仰の中心として発展してきました。 歴史 久宝寺と顕証寺の始まり 久宝寺の地名の由来は、飛鳥時代に聖徳...»
慈願寺は、大阪府八尾市に位置する真宗大谷派の寺院で、山号は福井山、本尊は阿弥陀如来です。 概要 慈願寺は、真宗大谷派の寺院で、大阪府八尾市に位置しています。その創建の歴史は鎌倉時代にまで遡り、長い年月を経て現在に至るまで、多くの歴史的出来事や変遷を経てきました。 本堂 慈願寺の本堂は、文化14年(1817年)に再建されました。壮大で荘厳な造りが特徴で、参拝者の心を打つ建築物として知られています。 歴史 創建と初期の歴史 慈願寺の起源は、鎌倉時代に那須資村が親鸞に帰依したことに始まります。資村は信願房法心と号し、下野国那須郡志賀崎に念仏道場を開き、「慈願寺」と名付けました。その後、...»
渋川神社は、大阪府八尾市植松町に位置する歴史ある神社です。式内社であり、旧社格は郷社に分類されています。 天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、饒速日命(にぎはやひのみこと)、國狹槌尊(くにさつちのみこと)、日高大神(ひだかおおかみ)、菅原大神(すがわらのおおかみ)の五柱の神々を祭神としています。 歴史・由来 創建と伝承 創建の具体的な年月は不明ですが、古代よりこの地で崇敬を集めていた神社とされています。一説には、飛鳥時代に本地域を本拠地としていた物部守屋(もののべのもりや)の「渋河の家」の跡地ともいわれています。 洪水による流失と再建 かつて渋川神社は旧大和川の東側に位置していま...»
常光寺は、大阪府八尾市本町にある臨済宗南禅寺派の寺院で、南禅寺塔頭金地院の末寺です。山号は「初日山」と称され、地元では「八尾地蔵尊」の通称で親しまれています。本尊は地蔵菩薩であり、古くから多くの人々に信仰されています。 境内には、大坂城の残石や「河内最古之音頭 発祥地」の碑があり、歴史的価値のある場所です。また、大坂の陣で戦死した藤堂家の武将たちの墓も設けられています。 歴史 創建と初期の歴史 常光寺は、奈良時代に僧・行基によって創建されたと伝えられています。創建当初は「新堂寺(しんどうじ)」と呼ばれていましたが、南北朝期の戦乱によって一時焼失し、荒廃しました。 復興と室町時代の繁栄...»
真宗大谷派 八尾別院大信寺は、大阪府八尾市本町に位置する真宗大谷派の寺院で、東本願寺(真宗本廟)の別院として知られています。「八尾御坊」の愛称で親しまれ、歴史と文化の豊かさから地元住民や観光客に親しまれる名所です。 寺院の概要 大信寺は1607年(慶長12年)に東本願寺第12代住職・教如によって建立されました。現在の本堂は1967年(昭和42年)に完成したモダンな鉄筋コンクリート建築ですが、過去には天明の大火や白蟻の被害を受けながらも再建を繰り返してきました。 また、大信寺は歴史的な背景を持つだけでなく、多くの文化財や遺跡も抱えています。その中には、明治時代の河内県庁跡や貴重な宗教画など...»
大聖勝軍寺は、大阪府八尾市太子堂に位置する高野山真言宗の寺院です。山号は神妙椋樹山(しんみょうりょうじゅさん)で、本尊は如意輪観音が祀られています。開基は聖徳太子とされ、地元では「太子堂」として親しまれています。 概要 大聖勝軍寺は、旧奈良街道沿いに建ち、聖徳太子が建立した三太子の一つとされています。叡福寺(太子町)の「上の太子」、野中寺(羽曳野市)の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれています。 歴史 創建の由来 用明天皇2年(587年)、崇仏派の蘇我馬子に組した聖徳太子は、排仏派の物部守屋との戦いで四天王に戦勝祈願を行い、見事勝利を収めました。その後、四天王を祀る寺院として...»
玉祖神社は、大阪府八尾市神立に位置する由緒ある神社です。式内社であり、旧社格は郷社です。「玉祖明神」や「高安大明神」とも呼ばれ、地域住民に親しまれています。 概要 玉祖神社は八尾市東部、高安地区(恩智地区を除く旧高安郡13ヶ村)の氏神として崇敬されてきました。この神社は、古代より地域の守護神として信仰され、周囲の歴史や文化と深く結びついています。 祭神 主祭神は天明玉命(櫛明玉命)で、玉祖部の祖神とされています。古代より玉造りの技術を司る神として信仰されてきました。 歴史 創始と伝承 社伝によれば、玉祖神社は710年(和銅3年)、周防国の玉祖神社から分霊を勧請して創建されました。...»
天台院は、大阪府八尾市西山本町に位置する天台宗の仏教寺院です。山号は紫雲山と称し、歴史的にも文化的にも意義深い寺院として知られています。本寺はその静かな佇まいとともに、仏教文化や歴史を伝える重要な役割を果たしています。 寺院の概要 天台院は、天台宗総本山である比叡山延暦寺の末寺であり、室町時代初期に創建されたと伝えられています。その創建背景には、南北朝時代の動乱の中で仏教を通じて平和と調和をもたらす願いが込められていました。寺の創設者は勤王僧・文観上人であるとされています。 歴史と由緒 文観上人と創建の背景 文観上人は、南朝に仕えた勤王僧であり、播磨国一乗寺で天台教学を修めた後、真言...»
水呑地蔵院は、大阪府八尾市大字神立にある地蔵堂で、一般的には「水呑地蔵」として広く知られています。この地は地元住民や観光客にとって親しまれている霊場です。 概要 水呑地蔵院は、八尾市の東北部、十三峠に至る十三街道沿いに位置しています。本堂は斜面に張り出す形で建設されており、周辺には鐘楼や弘法水の小堂があります。本堂から見渡す大阪平野の眺望は絶景で、多くの参拝者や観光客を魅了しています。 水呑地蔵院の歴史 地蔵菩薩の安置と創建 水呑地蔵院は、平安時代の承和3年(836年)に僧・壱演によって創建されたと伝えられています。本堂内には「水呑地蔵」と呼ばれる石造の地蔵菩薩像が安置されています。...»
御野縣主神社は、大阪府八尾市に鎮座する歴史ある神社です。式内小社として古来より崇敬され、旧社格は村社に列せられています。上之島地区の氏神であり、地域の歴史や文化に深く根ざした存在です。 歴史と概要 御野縣主神社は、かつて河内国河内郡上之島村(現在の八尾市上之島地区)の氏神として祀られていました。この地域を支配していた豪族である美努連(みぬのむらじ)や三野縣主一族の祖神を祀る神社であり、その起源は不詳とされています。しかし、延喜式神名帳に「河内国若江郡の御野縣主神社二座」と記載があることから、平安時代以前には創建されていたと考えられています。 明治5年(1872年)には村社に列せられ、地域...»
八尾神社は、大阪府八尾市に位置する由緒ある神社で、『延喜式神名帳』に記載された河内国若江郡の「栗栖神社(くるす)」に比定される式内社です。旧社格は村社に位置付けられ、かつての若江郡西郷村や木戸村(現在の八尾市本町5丁目の北側および本町6・7丁目、東本町3丁目一帯)の氏神として信仰されてきました。 社名の由来と変遷 近世においては「牛頭天王社」として知られていましたが、明治維新後には『延喜式』に基づき「栗栖神社」に改称され、さらに明治41年(1908年)には「八尾神社」と改められました。「栗栖」の名は、この地域の旧称に由来しているとされています。 主祭神 八尾神社の主祭神は以下の2柱です...»
矢作神社は、大阪府八尾市南本町に鎮座する由緒ある神社です。式内社に列し、旧社格は郷社とされています。また、「別宮八幡」とも呼ばれるほか、「矢作」を「やつくり」と読むこともあります。歴史的背景や文化財が豊富で、地域の信仰の中心として多くの人々に親しまれています。 概要 矢作神社の所在地は、かつて物部氏の傍系一族である矢作連の屋敷跡であったと伝えられています。この神社は、矢作連の氏神として建立されたと考えられています。 11世紀には、石清水八幡宮の掃部別宮(八尾掃部別宮)としての役割を担い、江戸時代には石清水八幡宮の掃部奉仕を行っていました。これが「別宮八幡」と呼ばれる由来です。 境内には...»
山本八幡宮は、大阪府八尾市山本町に位置する神社です。旧社格は村社で、地元住民から長年にわたり信仰を集めています。この神社は、誉田別尊(応神天皇)を主祭神としており、八尾市の歴史や文化に深く根差した存在です。 概要 山本八幡宮は、近鉄河内山本駅のすぐ北側、玉串川の西岸に面し、立石街道の南沿いにあります。周囲には住宅街が広がる一方、境内は静寂に包まれた空間となっています。規模は小ぢんまりとしていますが、地域住民の心の拠り所として重要な役割を果たしています。 歴史 山本八幡宮の歴史は江戸時代にさかのぼります。享保元年(1716年)、山本新田の開発者である山中庄兵衛正永と本山弥右衛門重英(加賀...»
弓削神社は、大阪府八尾市にある歴史ある神社です。この神社は、式内社(式内大社)の論社として知られ、同名の神社が市内に2つ存在します。どちらも格式高い神社でありながら、現在はそれぞれ独自の歴史と伝統を受け継いでいます。 概要 『延喜式神名帳』(927年成立)に記載された式内社「弓削神社二座」の論社として、八尾市内に以下の2社があります。 弓削神社(八尾市東弓削) - 旧若江郡東弓削村に鎮座。旧村社。 弓削神社(八尾市弓削町) - 旧志紀郡西弓削村(弓削村)に鎮座。旧村社。 この2社は、長瀬川を挟んで約300メートルの距離に位置しています。弓削神社の周辺地域は古代氏族・弓削氏の集...»
高安山は、大阪府と奈良県の境界に位置する山で、標高487.5mを誇ります。この山は「鉢伏山」とも呼ばれることがあり、古くから要衝としての役割を果たしてきました。飛鳥時代には防御施設として高安城が築かれ、大和国と河内国を結ぶ重要な地点でした。 地理的特徴 高安山は、生駒山地の南端に位置し、大阪府八尾市服部川と奈良県生駒郡平群町久安寺の境界にあります。その頂上は大阪府側に位置し、そこには大阪管区気象台の気象観測レーダー、通称「高安山レーダー」が設置されています。 また、山頂の東側、奈良県側には「信貴生駒スカイライン」が通っており、観光客が訪れる際の利便性を高めています。 ハイキングコース ...»
大阪府八尾市の北東部に位置する楽音寺・大竹古墳群は、生駒山地の西麓に広がる歴史的価値の高い古墳群です。この地域は、特に古墳時代前期および中期(4世紀から5世紀)にかけて築かれた古墳が多く確認されています。 概要 楽音寺・大竹古墳群は、八尾市高安地区北部(楽音寺、大竹、神立地区周辺)に点在しています。この地域には、古墳時代において強大な力を持つ少数の支配者が存在し、彼らによって中規模の前方後円墳が次々と築かれました。古墳の規模は数十メートルから百数十メートルにおよびます。 しかしながら、多くの古墳は近代の農地開拓や住宅地・学校の建設などによって削り取られてしまい、現存するものは限られていま...»
高安古墳群は、大阪府八尾市の東部、高安山の麓に位置する古墳群です。特に古墳が密集している地域は「高安千塚」と呼ばれ、2012年には周知の埋蔵文化財包蔵地名が「高安千塚古墳群」として定義されました。2015年3月10日には高安千塚古墳群が国の史跡に指定され、文化的価値の高い地域として広く認識されています。 高安千塚の特徴 高安古墳群は、高安地区中部(千塚、山畑、大窪、服部川、郡川など)に位置し、約200基の古墳が現存しています。その多さからこの地域は「千塚」と呼ばれるようになりました。これらの古墳は古墳時代後期、6世紀から7世紀にかけて造営されたもので、大正時代の調査によれば、かつては600...»
旧植田家住宅は、江戸時代に大和川の付け替えによって開発された新田「安中新田」の会所跡を継承した歴史的建造物です。かつてこの地で行われていた新田の管理や運営の拠点であり、現在もその歴史的価値を伝え続けています。 この住宅は、安中新田会所跡としての機能を持ちながら、周囲の集落の形成や地域発展に寄与しました。現在では、建物や所蔵資料を一般公開しており、歴史的な学びと文化体験の場として親しまれています。 建築の概要と歴史的背景 主屋と附属建物 旧植田家住宅は、大和川付け替え後の宝永元年(1704年)に開発された安中新田の管理施設として建てられた建物です。主屋を中心に、周囲には表門、控舎(番部屋...»
環山楼は、江戸時代中期に河内国八尾の豪商・石田善右衛門利清が設けた私塾で、地域の庶民を対象に学問を教える場として設立されました。当時、八代将軍吉宗の時代には、儒学熱が広まり、全国で私塾が数多く開かれていました。環山楼もその流れの中で、八尾の学問の拠点として重要な役割を果たしました。 歴史と名称の由来 享保12年(1727年)、京都堀川の著名な儒学者・伊藤東涯(いとうとうがい)が八尾を訪れた際、石田利清の別邸で講義を行いました。これが環山楼の始まりです。東涯は、享保15年(1730年)にも再び八尾を訪れ、この地の学舎を「環山楼」と命名しました。その理由は、学舎から高安山、二上山、金剛山といっ...»
柏原市は、大阪府の中河内地域に位置する歴史と自然が調和した魅力的な街です。古くから農業や産業が栄え、現在でもさまざまなイベントや観光スポットが多くの人々を引きつけています。1958年(昭和33年)に市制を施行した歴史ある市です。 柏原市の概要 柏原市は、大阪府のベッドタウンとして機能しており、大阪都心部から約20キロメートルの距離に位置しています。市の特徴として、豊かな自然環境が挙げられます。市域の約2/3が山間部で、古墳や遺跡が多く存在する歴史的にも重要な地域です。また、ブドウ栽培が盛んで、地元特産品として「河内ワイン」や「柏原ワイン」が広く知られています。 市の特徴 市内には、横穴...»
高尾山は、大阪府柏原市に位置する山で、自然美と歴史的価値が融合した魅力的なスポットです。標高はそれほど高くありませんが、生駒山地の最南端付近にそびえる岩峰や、古代からの遺跡が見どころです。 高尾山の概要 高尾山の標高はそれほど高くないものの、岩峰が特徴的で、頂上付近には三等三角点があります。岩盤が露出した頂上近くは木々が生い茂っており、冬季以外は麓からその姿を確認するのが困難です。岩場には鐸比古鐸比賣神社の奥社の祠が祀られており、訪れる人々の心を静める場所となっています。 渡来文化の痕跡 高尾山周辺では、渡来系文化を示す遺構や出土品が多く見つかっており、古代日本と朝鮮半島の文化交流を物...»
鐸比古鐸比賣神社は、大阪府柏原市大県に鎮座する神社です。延喜式神名帳に記載される式内社であり、古代から地域の信仰を集める存在です。旧社格は郷社で、現在も多くの人々に親しまれています。 神社の概要 基本情報 鐸比古鐸比賣神社は、大鳥居をくぐると拝殿や本殿があり、背後には神体山とされる高尾山がそびえます。神社の名称が示すように、祭神は「鐸比古命」と「鐸比賣命」です。 鐸比古命は、神話によると垂仁天皇の子「沼滞別命」や「鐸石別命」と同一視されることがあり、これが和気清麻呂の遠祖とされています。一方、「鐸比賣命」も重要な神として祀られています。 ご神体とその配置 ご神体は高尾山の山頂にあり...»
石神社は、大阪府柏原市太平寺にある歴史ある神社です。式内社に列せられ、旧社格は村社に位置付けられています。 神社の概要 石神社は柏原市太平寺地区に位置し、生駒山地南端の小高い丘陵地に建っています。神社は麓に社務所を構え、社殿は高い石段を上った場所にあります。 主祭神と配祀神 主祭神 主祭神は石姫皇女で、宣化天皇の皇女であり欽明天皇の皇后でもあります。 配祀神 配祀神には石長姫命と熊野権現が祀られています。 歴史 石神社の歴史は古く、『日本三代実録』には貞観9年(867年)に官社として列せられた記録があります。また、延喜式神名帳には小社として記載されています。 江戸時代に入る...»