大阪府八尾市の北東部に位置する楽音寺・大竹古墳群は、生駒山地の西麓に広がる歴史的価値の高い古墳群です。この地域は、特に古墳時代前期および中期(4世紀から5世紀)にかけて築かれた古墳が多く確認されています。
楽音寺・大竹古墳群は、八尾市高安地区北部(楽音寺、大竹、神立地区周辺)に点在しています。この地域には、古墳時代において強大な力を持つ少数の支配者が存在し、彼らによって中規模の前方後円墳が次々と築かれました。古墳の規模は数十メートルから百数十メートルにおよびます。
しかしながら、多くの古墳は近代の農地開拓や住宅地・学校の建設などによって削り取られてしまい、現存するものは限られています。その中で、最も大きな規模を誇るのが「心合寺山古墳」です。この古墳はほぼ完全な形で保存され、2001年から2005年にかけて整備工事が行われました。
西の山古墳(楽音寺地区) 前方後円墳の形状を持つ古墳です。
向山古墳(大竹地区) 後円部の大部分が削り取られ、平安時代から鎌倉時代にかけて瓦を焼く窯としても利用されていました。
花岡山古墳(楽音寺地区) 大学建設により現存しません。
心合寺山古墳(大竹地区) 詳細は後述します。
鏡塚古墳(大竹地区) かつては前方後円墳でしたが、墳丘の大部分が失われています。「腹痛山」とも呼ばれ、土を掘ると腹痛を起こすという伝説があります。
愛宕塚古墳(神立地区) 高さ9メートル、直径約22メートルの横穴式円墳で、巨大な石室が残っています。現在は楽音寺・大竹古墳群の範囲から外れています。
心合寺山古墳(しおんじやまこふん)は、大阪府八尾市大竹に位置する前方後円墳です。墳丘は南北に全長約160メートルあり、八尾市および中河内地域を代表する大規模な古墳です。
墳丘の後円部の直径は約92メートル、高さ約13メートル、前方部の幅は約90メートル、高さ約12メートルです。三段に築成され、周濠は東西で異なる水位を持つ独特の構造となっています。
心合寺山古墳は、5世紀初め頃にこの地域を支配していた豪族の墓とされています。飛鳥時代には古墳の西側に「心合寺」という寺院が建立されましたが、寺院は後に廃絶し、古墳名の由来となったと考えられています。
1966年には国の史跡に指定され、1993年から発掘調査が進められました。2001年から2005年にかけて整備工事が行われ、現在では史跡公園として多くの人々が訪れる場所となっています。
発掘調査により、以下の成果が得られました:
近鉄大阪線「河内山本駅」下車後、近鉄バス「瓢箪山駅」行きで「大竹」停留所下車、徒歩約5分。 または、近鉄信貴線「服部川駅」下車後、北に徒歩約20~25分(約1.5km)。
国道170号線(旧道)の「水越東交差点」から「楽音寺交差点」間にある辻を東へ進むと到着します。隣接する「八尾市立しおんじやま古墳学習館」に有料駐車場があります。