蹉跎神社は、大阪府枚方市に位置する歴史ある神社です。旧社格は郷社で、「跎」の字は「足它」の形で表記されます。神社は、菅原道真公を祭神としており、その神体は道真公自身が彫刻したと伝えられる坐像です。
菅原道真公が祭神であり、神体は道真公自らが制作したと伝えられる木像です。この像が神社の中心的存在となっています。
延喜元年(901年)、菅原道真が大宰府へ左遷される途上、この地で休息を取り、都への未練を抱いたとされています。その地を「菅相塚」(現寝屋川市菅相塚町)と名付けました。また、娘の苅屋姫が後を追いましたが、間に合わず嘆き悲しむ姿から「蹉跎山」という地名が生まれました。大宰府にてこの話を聞いた道真は、自身の木像を彫刻して娘に送ったとされています。
天暦5年(951年)、蹉跎山に社殿が造営され、その木像が祀られるようになり、近隣25箇村の産土神とされました。
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では社殿が焼失しましたが、神像は無事で、現在地に遷座されました。その後、中振・出口両村の産土神として再建されました。明治5年には、走谷村の産土神だった加茂健豆美命神社を合祀し郷社に列格されました。その後、明治12年には加茂健豆美命神社が分祀再建され、現在の社殿は明治22年3月に改築されたものです。
江戸時代まで境内には聖徳太子が開基したと伝えられる龍光寺がありましたが、明治の神仏分離により廃され、仏像や曼陀羅などは近隣の浄土院に移されました。
中振の集落から神社まで真っ直ぐに伸びる参道「蹉跎参道」は、京阪本線や大阪府道21号八尾枚方線を横切っています。参道の入口には一の鳥居が立ち、そこから坂道を登ると二の鳥居へと続きます。二の鳥居の前には社務所があり、参拝者を迎えます。
境内には以下の施設があります:
枚方市出口の集落には御旅所があり、例大祭の日には神輿が渡御します。また、御旅所の敷地の奥には本宮の遥拝所も設けられています。
摂社として以下の社があります:
神社では一年を通してさまざまな祭事が行われます。主な行事は以下の通りです:
特に節分祭と秋祭では、神社前に出店が並び、多くの参拝者で賑わいます。
大阪府枚方市南中振1-7-18
最寄駅は京阪本線の光善寺駅で、駅から徒歩約7分(南東へ約500m)の距離です。