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太秦古墳群

(うずまさ こふんぐん)

太秦古墳群は、大阪府寝屋川市東部の丘陵地帯に点在する初期群集墳です。その中でも特に「太秦高塚古墳」は、寝屋川市指定史跡として保存されています。他の多くの古墳は残念ながら墳丘を失っていますが、古代の歴史と文化を知る手がかりとして貴重な存在です。

太秦古墳群の位置と概要

太秦古墳群は寝屋川市の東部、太秦高塚町や国守町の丘陵地に広がっています。この地域には古墳時代の円墳と考えられる「太秦高塚古墳」をはじめとする複数の古墳が存在していました。埴輪や須恵器などの出土品がこれを裏付けています。

かつての古墳群の広がり

かつてこの一帯には、小金塚、向ヒ塚、廻し塚、モロ塚など、「塚」や「山」が付く地名が多く見られました。これらは古墳の存在を示唆しており、広範囲に古墳群が存在していたことが推測されています。

近年の発掘調査と成果

2001年から2003年にかけて、第二京阪道路建設に伴い事前調査が行われました。その結果、尾根上に25基の小規模な古墳が発掘され、これらは「尾支群」と呼ばれています。また、2001年には寝屋川市が「太秦高塚古墳」の発掘調査を実施し、その詳細が明らかになりました。

尾支群の詳細

尾支群の規模と構造

尾支群は尾根上に広がる古墳群で、1辺または直径が4〜14メートルと小規模なものが多いです。主体部が確認されたのは3号墳のみで、木棺直葬が行われていたことが分かっています。

出土品の特徴

尾支群からは須恵器や土師器が多数出土しましたが、埴輪の出土は8号墳と17号墳に限られています。円筒埴輪や朝顔形埴輪が見つかり、これらの遺物から尾支群は5世紀中葉から6世紀前葉に築造されたと推定されています。

太秦高塚古墳の概要

太秦高塚古墳は尾支群の北西約800メートルに位置する円墳で、墳丘が完全に残っている唯一の古墳です。直径37メートル、2段築造で、墳丘には葺石がありません。墳丘のテラス部分や造り出し部には円筒埴輪列が配置されており、さらに人物や家、鶏などの形象埴輪も出土しています。

埋葬主体と副葬品

墳頂部では埋葬主体が確認され、短甲、鏃、斧、馬具などの副葬品が発見されました。これらの出土品や形象埴輪から、太秦高塚古墳は5世紀後半に築造されたと考えられています。

太秦高塚古墳の重要性

太秦高塚古墳と尾支群では墳丘規模や出土遺物に大きな差が見られます。これにより、当時の社会構造や階層が反映されていると考えられ、リーダーの墓が高塚古墳、集団構成員の墓が尾支群の小規模古墳ではないかと推測されています。

太秦高塚古墳の保存と文化財指定

現在、太秦高塚古墳は寝屋川市指定史跡として「太秦高塚古墳公園」に整備・保存されています。また、埴輪などの出土品は寝屋川市立埋蔵文化財資料館に保管されており、市指定有形文化財にも指定されています。

主な文化財

まとめ

太秦古墳群は、歴史的価値の高い遺跡として大阪府寝屋川市の文化財を象徴する存在です。特に、太秦高塚古墳は当時の社会構造や人々の生活を知る貴重な手がかりを提供しています。このような遺跡群を保存し、後世に伝えることは、歴史への理解を深めるためにも重要です。

Information

名称
太秦古墳群
(うずまさ こふんぐん)

東大阪

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