来迎寺は、大阪府守口市に位置する浄土宗の寺院であり、その山号は「紫雲山」とされています。本尊は「天筆如来」と呼ばれる阿弥陀三尊の絵像で、長い歴史と数々の逸話を持つ寺院として知られています。
来迎寺の創建は、正平2年(1347年)に遡ります。当時、融通念仏宗(現在の大念仏宗)の大念仏寺7世である法明上人の弟子、実尊誠阿上人西願が、河内国茨田郡守口村(現在の守口市来迎町)に「天筆如来」を本尊とする来迎堂を建立したことがその始まりです。
「天筆如来」とは、貞観元年(859年)に石清水八幡宮を創建した僧・行教が感得した阿弥陀三尊の姿を写したもので、非常に霊験あらたかな存在として信仰されてきました。この仏像は、建立の際に起こった困難をも克服し、実尊上人の徳によって寺院の基礎となりました。
その後、来迎堂は「来迎寺」と改名され、南朝の後村上天皇によって勅願寺に指定されました。釈迦如来立像の寄進を受けた本堂は、「放光殿」という名を賜り、国家の安泰を祈願する場としての重要な役割を果たしてきました。
江戸時代に入ると、「天筆如来」のご開帳が盛んに行われ、特に江戸をはじめとする東国で多くの信徒を集めました。この頃、来迎寺の縁起が幕府にも提出され、将軍徳川綱吉が直接目を通した記録が残っています。
来迎寺には、「幽霊の足跡」という不思議な伝説があります。享保3年(1743年)、35世慈天上人が夕方のお勤めをしている際に、江戸小網町の大工の妻「お石」という女性の幽霊が現れました。お石は、自分の臨終が悲惨なものであったことを慈天上人に訴え、回向を受けることで成仏しました。
その後、お石は感謝の証として自らの足跡を残して姿を消したと伝えられています。この足跡は現在も伝えられており、訪れる人々に不思議な歴史を物語っています。
来迎寺の境内には、多くの重要な建築物や文化財が残されています。例えば、本堂は鉄筋コンクリート造で、他にも庫裏、大方丈、庭園、十三重石塔(大阪府指定有形文化財)などがあります。
来迎寺へのアクセスは、Osaka Metro谷町線「大日駅」から京阪バス「佐太天神前」停留所下車、徒歩約5分となっています。境内は静寂に包まれ、歴史ある雰囲気を存分に味わえる場所です。
歴史ある来迎寺を訪れ、その豊かな文化財と数々の逸話に触れることで、より深い日本の宗教文化を感じることができるでしょう。