忍陵神社は、大阪府四條畷市岡山にある格式高い神社です。式内社に指定され、旧社格は村社に属します。神社の名前は、付近にあるJR学研都市線の「忍ケ丘駅」の駅名の由来ともなっています。また、「にんりょう じんじゃ」と呼ばれることもあります。
忍陵神社は、明治44年に津桙(つほこ)神社が近隣の2つの神社を合祀し、現在の名称へ改称されたものです。津桙神社の創建時期は不明ですが、古代豪族である津桙氏が祖神を祀ったものが始まりとされ、その後、応神天皇を氏神とするようになったと考えられています。江戸時代には「新宮大権現」とも称され、熊野信仰が広がる平安時代には熊野大神が合祀されました。
元の鎮座地は現在地より南の岡山村坪井(通称・赤山)でしたが、江戸時代に現在地へ移されました。同時に、地元にあった鎌足社(祭神:藤原鎌足)も合祀されました。また、明治5年(1872年)には旧岡山村の村社に列せられ、明治44年には以下の2社を合祀しました。
主祭神は藤原鎌足であり、以下の神々が配祀されています。
忍陵神社は「忍岡古墳」の墳丘上に位置しています。この古墳は4世紀中頃に築造された全長87メートルの前方後円墳で、古墳時代の歴史を伝える重要な文化財です。昭和9年(1934年)の室戸台風で社殿が倒壊した際の修復作業中に発見されました。発見された竪穴式石室は「忍岡古墳」と名付けられ、昭和47年(1972年)には大阪府指定文化財に指定されています。
境内には、忍岡古墳の由来を記した碑や、歴史的な歌を刻んだ「忍の岡古歌碑」が設置されており、訪れる人々に歴史の趣を感じさせます。
忍陵神社が位置する丘陵は、戦国時代に築かれた岡山城の遺構としても知られています。 三好長慶が飯盛山城を拠点とした永禄3年(1560年)頃、飯盛山の北東にあるこの丘陵を利用して支城として築かれました。
岡山城は、永禄から天正年間にかけて城主であった結城氏がキリシタン信仰に深く傾倒しており、キリシタン信仰の拠点となりました。 また、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、徳川方の本陣として使用され、勝利の象徴として「御勝山」とも称されるようになりました。 しかし現在では、当時の城の遺構を見ることはほとんどできません。
忍陵神社へのアクセスは、JR西日本の学研都市線「忍ケ丘駅」から徒歩圏内です。 駅から神社までの道中では、地域の自然や歴史的な風景を楽しむことができます。
忍陵神社は、古墳時代から戦国時代、そして近代に至るまでの長い歴史を持つ場所です。 その祭神である藤原鎌足や、境内にある忍岡古墳は、歴史や文化を学びたい方にとって非常に興味深いものです。 また、岡山城の名残やキリシタン信仰の歴史も含め、訪れる人々に多くの学びと感動を与えてくれる場所と言えるでしょう。