須波麻神社は、大阪府大東市中垣内に位置する神社で、古代からの歴史を有する重要な宗教的拠点です。式内社として平安時代の「延喜式神名帳」にも記載されており、地域の人々に深く信仰されています。旧社格は郷社で、現在でも地元の産土神として多くの人々に親しまれています。
須波麻神社の創建時期は不明ですが、伝承によれば、出雲大社と同体であったとされ、古くは10月7日に大祭が行われていたとのことです。平安時代の「延喜式神名帳」に記載されており、大東市内では唯一の式内社として位置づけられています。かつては讃良郡から若江郡にかけて、数十の村々が氏子となり、広範な信仰を集めていました。
明治6年(1873年)には、讃良郡内の11村が郷社として認定され、さらに明治40年(1907年)には大谷神社、龍間神社、坐間神社の3社が合祀されました。現在では中垣内の人々にとって、守護神として崇められています。
須波麻神社がある地域は、かつて河内湾が広がっていた場所であり、その後淀川や大和川の土砂の流入により、河内潟や河内湖が形成されました。この神社が西側に位置する水辺にあたる地域は、かつて湿地帯であり、当初は水難除けの水神を祀る神社であったという説があります。社名「須波麻(すはま)」は、この水辺の「渚浜」または「洲浜」から転じたと考えられ、地域に伝わる最古の地名でもあります。
須波麻神社の境内には、静かな雰囲気が漂っています。境内を覆うクロガネモチの大木は大東市の保存樹木に指定されており、その荘厳さが訪れる人々を魅了します。また、境内には合計11基の灯籠があり、その一部は古い歴史を持つものです。特に1830年(文政13年)に寄進された灯籠は、道しるべとしても機能しており、近くの東高野街道から移されたものです。
須波麻神社の本殿は、明治36年(1903年)に建てられ、春日造りの様式が特徴的です。祭神は大国主命で、出雲大社と同体とされる伝承があり、古くは10月7日に大祭が行われていたと伝えられています。境内にある灯籠の一つは、1745年(延享2年)に寄進されたもので、地域の人々の信仰を物語っています。
須波麻神社の周辺は、古代から変わりゆく河内湾や河内湖の影響を受けた地域です。この地は、一万年以上前から河川や湖の変遷を経てきました。特に、湿地帯だった時期に水辺に祀られた神としての歴史があるとされ、祭祀の場所としても重要な位置を占めていました。また、近隣からは弥生時代の遺物が発掘されており、古代の祭祀や信仰が長い間継承されてきたことが示唆されています。
須波麻神社では、木霊(こだま)を祀っているという伝承があります。西南約5kmの位置には、弥生時代の遺跡があり、その発掘調査からは大量の農耕用木製品や木棺が見つかっています。このことから、神社の祭祀が木霊を鎮めるものであった可能性が高く、古代から続く祭祀の地であったことが伺えます。
須波麻神社へのアクセスは、JR学研都市線の野崎駅から徒歩約28分(南東方向に約2.2km)、または近鉄バス四條畷線の中垣内バス停から徒歩約7分で到達できます。静かな自然に囲まれたこの神社は、地元の人々にとって大切な場所であり、訪れる人々に安らぎと歴史を感じさせてくれます。
大阪府大東市中垣内2-11
最寄駅:JR学研都市線 野崎駅下車後、徒歩約28分(南東へ約2.2km)
近鉄バス四條畷線 中垣内バス停下車後、徒歩約7分