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八尾神社

(やお じんじゃ)

八尾神社は、大阪府八尾市に位置する由緒ある神社で、『延喜式神名帳』に記載された河内国若江郡の「栗栖神社(くるす)」に比定される式内社です。旧社格は村社に位置付けられ、かつての若江郡西郷村や木戸村(現在の八尾市本町5丁目の北側および本町6・7丁目、東本町3丁目一帯)の氏神として信仰されてきました。

社名の由来と変遷

近世においては「牛頭天王社」として知られていましたが、明治維新後には『延喜式』に基づき「栗栖神社」に改称され、さらに明治41年(1908年)には「八尾神社」と改められました。「栗栖」の名は、この地域の旧称に由来しているとされています。

主祭神

八尾神社の主祭神は以下の2柱です。

近世には牛頭天王を祭神としていましたが、『河内志』(享保20年・1735年)以降、式内「栗栖神社」に比定され、宇麻志麻治命が祭神として位置付けられました。

八尾神社の歴史

古代からの起源

八尾神社が鎮座する場所は、長瀬川(旧大和川)沿いのやや高台にあり、弥生時代から人々が集落を営んでいたと考えられています。八尾市跡部には、物部守屋が阿都(あつ)の別業を営んだ記録(『日本書紀』用明天皇2年・587年)もあり、この地域が物部氏およびその同族に深く関わる地であったことを示しています。

また、貞観4年(862年)には従五位下に昇叙され、同年に官社に列し、延喜式の制定に伴い官幣小社として位置付けられました。

中世以降の動向

中世には、この地域一帯が「八尾荘」と呼ばれる荘園として記録され、八尾神社はその中心的な神社であったと推測されています。南北朝時代には、常光寺を拠点とする八尾城の一部として組み込まれた可能性があり、兵火や戦乱の影響を受けたとされています。

近世から近代への発展

近世には牛頭天王社として、西郷村の氏神として崇敬を集め、天徳寺が神宮寺として存在しました。明治初期の神仏分離令により天徳寺は廃寺となり、八尾神社は「栗栖神社」と改称されました。さらに、明治41年には萱振村の加津良神社と八尾中野の八阪神社を合祀し、現在の社名「八尾神社」に改称されました。

社殿の概要

八尾神社の社殿は、以下のような構造を持っています。

これらの建物は瓦葺で統一されており、重厚な雰囲気を醸し出しています。

境内の見どころ

境内社

八尾神社の境内には以下の境内社があります。

八尾城址の碑

本殿の東側に位置する菅原神社の隣には、昭和6年(1931年)に建てられた「八尾城址」の石碑があり、この地の歴史を感じることができます。

交通アクセス

八尾神社へのアクセスは非常に便利です。以下の方法をご利用いただけます。

八尾市の中心部に位置するため、訪れやすい立地となっています。

まとめ

八尾神社は、古代から現代に至るまで地域と密接な関係を保ちながら歴史を紡いできた神社です。豊かな歴史や文化を感じることができる場所として、多くの人々に親しまれています。ぜひ足を運び、その魅力を直接体感してみてください。

Information

名称
八尾神社
(やお じんじゃ)

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