四條畷神社は、大阪府四條畷市に位置する歴史ある神社です。旧社格は別格官幣社であり、現在は神社本庁の別表神社の一つに数えられています。また、建武中興十五社の一社として、南北朝時代の歴史と深く結びついています。さらに、大阪みどりの百選にも選ばれており、地元の人々からも観光客からも愛されるスポットとなっています。
四條畷神社の主祭神は、南朝の忠臣として知られる楠木正行(くすのきまさつら)公です。正行公は、四條畷の戦いで北朝軍に敗れた後、この地で自害しました。父である楠木正成(くすのき まさしげ)公が「大楠公」と称されるのに対し、正行公は「小楠公」として敬われています。地元では「楠公さん」と呼ばれることも多く、その名は市内外に広く親しまれています。1975年には「楠公」という町名も誕生し、現在も周辺には楠公の名を冠した地名が点在しています。
四條畷神社の境内には桜の木が多く植えられており、春には花見を楽しむ人々で賑わいます。境内には以下のような特徴的な施設があります。
現在の本殿は、1890年(明治23年)の創建当初の姿をそのまま保っています。拝殿は鎮座90周年を記念し、1981年(昭和56年)に改築されました。本殿前の鳥居は、1990年(平成2年)の創建100周年を記念して伊勢神宮から贈られたものです。
正行公の母である久子刀自命(ひさことじのみこと)を祀る摂社です。大正14年に鎮座し、安産祈願や子育てに関わる祈願が多く寄せられています。
学問の神として知られる菅原道真公を祀る社で、昭和38年に鎮座しました。受験や学業成就を願う人々にとって大切な場所です。
正行公が自害した後、墓所として整備されました。2本の若楠が成長し、1本の大楠となった樹齢600年の木は、大阪府指定の天然記念物に指定されています。さらに、大久保利通公の筆による大碑石も建てられています。
正平3年(1348年)、南北朝時代の激戦地として知られる四條畷で、南朝軍と北朝軍が戦いを繰り広げました。この戦いで、南朝の将である楠木正行とその弟楠木正時をはじめとする多くの楠木一族が戦死しました。正行の墓は「楠塚」と呼ばれ、ひっそりとその菩提が弔われてきました。
明治時代に入り、明治政府が南朝を正統と認めたことを契機に、楠木正行が小楠公(しょうなんこう)として崇められるようになりました。これを受けて、1878年には「小楠公御墓所」として墓所が整備され、1889年には四條畷神社の創建が勅許されました。翌1890年、現在地に神社が創建され、正行を祀る正式な神社として広く知られるようになりました。この創建により、周辺地域は大いに発展し、「四條畷」という名が市名にも受け継がれるようになりました。
鎌倉時代の太刀「銘:包永」が重要文化財に指定され、大阪歴史博物館に寄託されています。
四條畷神社では、毎年春季大祭(4月5日)と秋季大祭(10月5日)が盛大に行われ、地元住民や観光客で賑わいます。
JR西日本片町線(学研都市線)四条畷駅から徒歩15分の距離にあり、アクセスも良好です。春には境内の桜が美しく咲き誇り、多くの花見客で賑わいます。
四條畷神社は、南朝の歴史と忠臣楠木正行公の精神を今に伝える貴重な場所です。その荘厳な境内や歴史的背景は、訪れる人々に深い感動を与えます。春には桜、秋には紅葉と、四季折々の美しい風景も楽しめるため、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。