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高安古墳群

(たかやす こふんぐん)

高安古墳群は、大阪府八尾市の東部、高安山の麓に位置する古墳群です。特に古墳が密集している地域は「高安千塚」と呼ばれ、2012年には周知の埋蔵文化財包蔵地名が「高安千塚古墳群」として定義されました。2015年3月10日には高安千塚古墳群が国の史跡に指定され、文化的価値の高い地域として広く認識されています。

高安千塚の特徴

高安古墳群は、高安地区中部(千塚、山畑、大窪、服部川、郡川など)に位置し、約200基の古墳が現存しています。その多さからこの地域は「千塚」と呼ばれるようになりました。これらの古墳は古墳時代後期、6世紀から7世紀にかけて造営されたもので、大正時代の調査によれば、かつては600基ほど存在していたと推定されています。

古墳の形状と分布

高安千塚古墳群の多くは、直径10~20メートルほどの小規模な円墳で、横穴式石室を特徴としています。これらは主に高安山の中腹、標高50~300メートルの範囲に分布しており、大抵の場合、南側に開口しています。この地域では4~5世紀には巨大な前方後円墳が造られましたが、古墳時代後期には権力が分散し、小豪族が小規模な円墳を数多く造営したと考えられています。

主な古墳とその特徴

大窪・山畑支群

この支群には多くの古墳が含まれていますが、以下のものが特に注目されています。

服部川支群

服部川支群には、二室塚古墳(服部川25号墳)が有名です。この古墳は玄室が縦に2つ繋がった構造を持ち、「双室ドルメン」とも呼ばれています。特異な形状から研究者の関心を集めていますが、石組みが脆く、崩落の危険性が指摘されています。

郡川支群

郡川支群には、高安古墳群内で最大規模の石室を持つ開山塚古墳(郡川1号墳)があります。この石室の広さは約15.7平方メートルにも及び、圧倒的な存在感を誇ります。

黒谷支群

黒谷支群については詳細な調査が進行中であり、加筆が望まれる部分も多く残されています。

文化財としての高安古墳群

高安千塚古墳群は、2015年に国の史跡に指定され、その後も追加指定が行われています。例えば、2021年には郡川西塚古墳が新たに指定されました。また、八尾市指定文化財としても多くの古墳が登録されており、貴重な考古資料としての価値が認められています。

歴史的意義

高安古墳群は、明治時代初期にモースやゴーランドなどの研究者によって調査され、日本考古学の黎明期に大きな影響を与えました。また、古墳の造営時期には韓式系土器や渡来系の副葬品が見られ、国際的な文化交流の痕跡も示されています。

見学の際の注意点

現在、一部の古墳は周囲が草木で覆われており、アクセスが困難な場合もあります。訪問の際には十分な準備と注意が必要です。また、貴重な文化財を保護するため、見学時にはマナーを守ることが求められます。

まとめ

高安古墳群は、日本の歴史と文化を深く理解するための重要な遺跡群です。その多様性と保存状態の良さから、訪れる人々に古代の営みを感じさせてくれます。八尾市を訪れる際には、ぜひ高安古墳群を散策し、その魅力を体感してください。

Information

名称
高安古墳群
(たかやす こふんぐん)

東大阪

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