矢代寸神社の歴史
神社の由来
矢代寸神社は延喜式神名帳に記載され、古くから格式の高い神社として知られていました。平安時代の1090年には白河上皇が熊野詣の途中で参拝したとされており、江戸時代には岸和田藩の一ノ宮に指定されました。藩主である岡部宣勝が摂津国高槻藩から岸和田藩に移封した際、藩主交代の際には必ず参拝する場所となりました。
主な歴史的な出来事
- 503年 - 矢代寸神社が鎮座
- 1090年 - 白河上皇が参拝
- 1640年 - 岸和田藩の一ノ宮に指定
- 1737年 - 「一宮牛頭天王」と称される
- 1873年 - 郷社に指定
- 1907年 - 神社合祀政策により諏訪神社などを合祀
一ノ宮の由来
江戸時代、岸和田藩には一ノ宮が存在しておらず、阿間河荘の惣社である矢代寸神社が藩の一ノ宮に選ばれました。この選定の背景には、藩領内に古くから伝わる格式の高い神社としての評価があり、藩主が参勤交代や交代儀式の際に参拝する神社として重要な役割を担いました。
合祀された神々と由来
主な祭神
矢代寸神社には複数の神々が合祀されています。主な祭神としては、武内宿禰(たけうちのすくね)、波多八代宿禰(はたやしろのすくね)、建御名方命(たけみなかたのかみ)などが祀られています。これらの神々は、地域の信仰と歴史に深く結びついており、信仰対象として大切にされています。
- 武内宿禰(たけうちのすくね) - 主祭神
- 波多八代宿禰(はたやしろのすくね) - 主祭神
- 建御名方命(たけみなかたのかみ) - 神須屋社(諏訪神社)より合祀
- 素盞嗚命(すさのおのみこと) - 真上社(弥栄神社)より合祀
- 菅原道真(すがわらのみちざね) - 神須屋社(天神神社)より合祀
- 市杵島比売命(いちきしまひめ) - 極楽寺社(厳島神社)より合祀
- 武甕槌命(たけみかづち) - 流木社(鹿島神社)より合祀
- 祭神不詳の四十九神社(落合神社) - 戦で亡くなった四十九人の首を埋めたという伝説があります
例祭と行事
岸和田十月祭礼
矢代寸神社の例祭は、10月の体育の日に行われる「岸和田十月祭礼」です。この祭りでは、東岸和田だんじり祭りとして知られる宮入が行われ、八田町や真上町などの地区から5台のだんじりが神社に入ります。この祭礼には、珍しい神輿渡御もあり、だんじりの宮出しと共に行われます。
祭りの特徴
祭りの中で、神輿を担ぐのは当番町が担当し、だんじりは神輿に続いて御旅所までお供します。御旅所はかつて神須屋町にあった諏訪神社の跡地で、歴史ある場所で神聖な儀式が行われます。
境内社と信仰
稲荷神社
矢代寸神社の境内には、白高大明神と光良大明神を祀る稲荷神社があります。地元の人々にとっては商売繁盛や家内安全を祈願する場として親しまれています。
道祖神社(足神様)
道祖神社には、足の病気や痛みを和らげるとされる信仰があり、参拝者が石を撫でると治癒するという言い伝えがあります。
弁財天
流木社から遷宮された弁財天も祀られており、財運や音楽芸能の神として信仰されています。
アクセス方法
矢代寸神社へは、南海本線岸和田駅またはJR阪和線東岸和田駅から南海ウイングバス(641、642、643、644系統)に乗車し、「一の宮」バス停で下車します。バス停から徒歩3分で神社に到着します。
関連する史跡と観光地
阿理莫神社
阿理莫神社は大阪府貝塚市久保にあり、阿間河荘の豪族・安幕氏の由来がある神社です。鎮座年は507年とされ、矢代寸神社と時代的にも近く関係が深いです。
行遇堂(神須屋町)
行遇堂は、旧阿間河荘の神事が行われる場所で、上字(八田・神須屋・真上)と下字(極楽寺・畑・流木)の人々がここで集まり、矢代寸神社に参拝していた歴史があります。
海岸寺跡
岸和田藩の岡部宣勝が徳川家を供養するために建立した寺院で、明治2年に廃寺となりました。境内には阿間河一宮(矢代寸神社)第十一世の墓石が残っています。
まとめ
矢代寸神社は岸和田市において重要な歴史と信仰を持つ神社です