仁徳天皇陵としての治定
大仙陵古墳の被葬者は明確ではありませんが、宮内庁により百舌鳥耳原中陵として仁徳天皇の陵墓に治定されています。このため、仁徳天皇陵や仁徳陵古墳と呼ばれることもあります。
世界文化遺産としての登録
2019年7月6日、ユネスコは大仙陵古墳を含む「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産として登録しました。これにより、日本国内外からの注目が集まり、観光地としても評価が高まっています。
築造時期と副葬品
古墳の築造時期は、出土した円筒埴輪や須恵器の特徴から5世紀前半から半ばと考えられています。前方部には、5世紀後期の副葬品が収められており、墳丘内部に埋め込まれた副次的な埋葬施設がこの時代に対応しているとされています。
古墳の規模と三次元測量調査
大仙陵古墳の規模は日本最大で、堺市の公式データや宮内庁の三次元測量調査の結果、次のように示されています。
- 古墳最大長:840メートル
- 古墳最大幅:654メートル
- 墳丘長:486メートル -> 525.1メートル
- 後円部直径:249メートル -> 286.33メートル
- 後円部高さ:35.8メートル -> 39.8メートル
この規模は、他の古墳を上回るもので、世界的にも大きな墳墓とされ、体積も著しく大きいことが分かっています。特に、墳丘の底面積・表面積ともに非常に広く、注目されています。
墳形と周濠
大仙陵古墳は前方部を南に向けた前方後円墳で、三重の周濠に囲まれています。最外部の濠は江戸時代に一部開墾されましたが、現在では元の三重濠の姿が復元されています。2021年には第1堤の上に並べられた円筒埴輪が発見され、築造当時の状態が一部確認されています。
円墳周囲には、「陪塚」(ばいちょう)と呼ばれる小型古墳10基以上も確認されています。
墳丘の外表施設
発掘調査によれば、墳丘は斜面に葺石を用い、墳頂部には円筒埴輪が並べられていたと考えられています。現代では、宮内庁による管理のため詳細な調査は難しいものの、過去の出土物から当時の豪華な装飾が推測されています。
埋葬施設と副葬品
大仙陵古墳の後円部には重要な人物が埋葬されているとされ、江戸時代には長持型石棺の存在が記録されています。発掘調査で発見された副葬品には、甲冑や刀剣、ガラス器などが含まれており、当時の豪華な葬儀文化を物語っています。
甲冑と刀剣
出土した甲冑は、眉庇付冑(まびさしつきかぶと)や短甲で、金銅製の装飾が施されています。また、20本の鉄刀も発見され、当時の高い技術力と文化的価値が伺えます。
アメリカのボストン美術館には、本古墳出土と伝えられる細線文獣帯鏡や単鳳環頭太刀などが所蔵されています。
観光地としての魅力
大仙陵古墳はその歴史的・文化的価値から、日本国内外の観光客に人気のスポットです。古墳周辺には整備された遊歩道や展望台があり、古墳を一望できるようになっています。堺市の観光資源として重要な役割を果たしており、訪れる人々に歴史の深さと壮大さを伝えています。
周遊路が整備されており、多くの鳥や昆虫が棲む、鬱蒼とした森林が広がっています。大仙公園とともに大阪みどりの百選に選定されています。
まとめ
大仙陵古墳は、日本最大の前方後円墳としての歴史的・文化的意義を持ち、仁徳天皇陵としても位置付けられる重要な遺跡です。その壮大な規模とユネスコ世界文化遺産としての価値により、国内外からの関心が高まっており、訪れる観光客に古代日本の豊かな文化を感じさせています。