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石津神社

(いしづ じんじゃ)

石津神社は、大阪府堺市堺区石津町に位置する由緒ある神社です。「和泉国」の式内社であり、石津大社としても知られています。石津神社は「日本最古の戎宮(えびすのみや)」として名高く、特にえびす神を祀る神社として信仰を集めています。

えびす神は耳が遠いと伝えられており、そのため神社の本殿横には、願い事を木槌で叩いて唱えるための板が設けられています。また、年中行事である大祓(おおはらえ)の時期には茅の輪が設置され、多くの参拝者が訪れます。

歴史

石津神社の社伝によると、神社の祭神である八重事代主神が五色の石を携えてこの地に降臨し、それが「石津」の地名の由来となったとされています。孝昭天皇7年(紀元前465年)8月10日に勅願によって創建されたとされ、これは「式内社石津太神社」に比定されています。この石津太神社には、堺市西区浜寺石津町中の「石津太神社」との論争もあり、もともとはどちらかが本社で、もう一方が御旅所(あるいは分社)であったと考えられています。両社ともに八重事代主神(戎神)が降臨した地として、「日本最古の戎宮」と称されています。

神社の前には八重事代主神が携えた五色の石が埋められており、伝説では天変地異が起こるとき、この石が地中から浮き上がってくるとされています。また、蛭子命(えびすのみこと)が漂着されたとされる御旅所は石津川の北岸にあり、かつての海岸線の跡が今でも見られます。

石津神社の神主は、垂仁天皇の時代に天穂日神(あめのほひのかみ)の子孫である野見宿禰(のみのすくね)が務めたとされています。その後、江戸時代には徳川幕府第5代将軍・徳川綱吉より元禄10年(1697年)に朱印地を与えられ、河内四郡および堺周辺の地域が氏子として石津神社に仕えることとなりました。

近代以降の歴史

1909年(明治42年)、神社合祀によって、神石村大字市にあった六所神社を合祀し、現在は六所神社の祭神も相殿に祀られています。

祭神

石津神社の主祭神は、八重事代主神、大己貴神、天穂日神の3柱です。また、相殿には誉田別神(ほんだわけのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)、白山比賣神(しらやまひめのかみ)、水分神(みくまりのかみ)、高野神(たかのかみ)、高龗神(たかおかみのかみ)が祀られています。

境内の見どころ

石津神社の境内にはさまざまな見どころがあり、参拝者が訪れるごとにその魅力に触れることができます。

本殿・拝殿

石津神社の中心に位置する本殿と拝殿は、荘厳な造りで参拝者を迎えます。歴史を感じさせるたたずまいは、参拝者に神聖な雰囲気を与え、厳粛な気持ちで参拝することができます。

猿田彦社

石津神社の境内には猿田彦社もあり、ここには猿田彦神が祀られています。猿田彦神は道案内の神とされ、旅の安全を祈る人々に信仰されています。

天満宮

境内の一角には天満宮もあり、ここには学問の神として名高い菅原道真が祀られています。受験生や学業成就を願う参拝者が多く訪れる場所です。

宿禰神社

宿禰神社には、野見宿禰(のみのすくね)と石津王命(いしつのおうのみこと)が祀られています。力の神として崇拝されるこの場所は、強さや健康を願う人々に人気です。

保存樹木

境内には堺市の保存樹木として指定されているクスノキが3本、オガタマノキが1本あります。これらの木々は神社の神聖な雰囲気を高め、自然の美しさを感じさせてくれます。

神紋について

石津神社の神紋は「丸に三つ柏(まるにみつかしわ)」です。この紋は神社の象徴であり、格式の高さを示すものとして参拝者に深い印象を与えています。

アクセス

バスでのアクセス

南海バスを利用し、堺東駅前から鳳西町南行きのバスに乗車すると、「石津神社前」で下車できます。

鉄道でのアクセス

鉄道を利用する場合、阪堺電気軌道阪堺線の石津停留場から徒歩7分、または南海本線の石津川駅から徒歩10分ほどで石津神社に到着できます。

まとめ

大阪府堺市にある石津神社は、歴史ある式内社で、日本最古の戎宮としても知られています。豊かな歴史と伝統を持ち、毎年多くの参拝者が訪れるこの神社は、えびす神を中心とした信仰の場として、地域の人々に愛され続けています。境内には神聖な木々や多くの社が点在し、訪れるたびに新たな発見がある場所です。大阪を訪れた際には、ぜひ石津神社で古き良き日本の神社文化に触れてみてください。

Information

名称
石津神社
(いしづ じんじゃ)

堺・泉南

大阪府