海岸寺の歴史
海岸寺の開創は江戸時代初期とされますが、正確な創建年は不詳です。当時の平井村には黄檗宗の海岸寺、真言宗の観音寺、そして真言律宗の安楽寺という三つの寺院が存在していました。
明治時代初期、安楽寺が無住の寺(住職不在)となった際に、海岸寺の住職が安楽寺に入り、寺の名も海岸寺として再出発しました。また、貞享年間(1684年から1688年)には、観音寺と元の海岸寺が廃寺となり、これらの寺院に安置されていた仏像が新しい海岸寺に移され、今日まで大切に祀られています。
さらに、神仏分離令によって境内にあった鎮守社は、多治速比売神社に合祀されました。昭和36年(1960年)には、台風によって本堂が倒壊し、多くの仏像が被害を受けましたが、現在の本堂は平成10年(1998年)に再建されました。
海岸寺の行事
海岸寺では、年間を通じて地域に根付いた伝統的な行事が行われています。以下は主な行事の一覧です。
主な行事一覧
- 御影供(弘法大師) - 4月20日・21日
- 盂蘭盆会(施餓鬼) - 8月16日
海岸寺へのアクセス
最寄駅:泉北高速鉄道「深井駅」
最寄りの泉北高速鉄道「深井駅」から徒歩で約20分、または南海バス「天の橋」から徒歩約8分の位置にあります。
多治速比売神社
多治速比売神社は、大阪府堺市南区宮山台にある神社で、延喜式神名帳に記載された和泉国大鳥郡の式内社として有名です。別名「荒山宮」(こうぜんのみや)としても知られ、神社の周囲は荒山公園として整備されています。古代から信仰を集める神社で、周辺地域の歴史的なシンボルとなっています。
多治速比売神社の歴史
創建は宣化天皇の時代(530年頃)と伝えられ、和泉国大鳥郡にある二十四座の延喜式内社のひとつです。明治時代初期までは総福寺という神宮寺が併設されていましたが、神仏分離により神社のみが存続し、郷社に列せられました。
現在の本殿は室町時代に建造され、国の重要文化財に指定されています。境内には多くの末社があり、古代の信仰の息吹を感じさせます。
祭神について
主祭神:多治速比売命(たじはやひめのみこと)
その他に素盞嗚尊や菅原道真公など、合祀された神々も祀られています。
境内施設と文化財
境内には本殿や拝殿をはじめ、複数の末社が立ち並び、神聖な雰囲気が漂います。以下、特に注目すべき建物や彫刻についてご紹介します。
本殿(重要文化財)
本殿は室町時代の天文年間(1539年~1543年)に再建されたもので、三間社入母屋造の様式です。細部には龍や唐獅子、芭蕉に蟷螂といった彫刻が施され、全国でも珍しい装飾が見られます。解体修理の際に、天文8年(1539年)の墨書が見つかり、この時期に再建されたことが確認されています。
鴨田神社・坂上神社
本殿の両側には鴨田神社と坂上神社があります。いずれも式内社として尊崇され、古代の池辺氏や坂上氏に関わりがあると推測されています。
その他の末社
境内には白山社、熊野社、春日社、天照社など多くの末社が祀られ、それぞれの祭神や由緒が地域に受け継がれています。
祭事
多治速比売神社では一年を通して様々な祭事が行われます。以下は主な祭事の一部です。
- 歳旦祭 - 1月1日 午前8時
- 節分祭 - 2月3日 午前10時
- 稲荷祭 - 3月最終の日曜日 午前10時
- 例大祭 - 10月5日に近い日曜日 午前9時
- 七五三詣 - 11月15日
多治速比売神社へのアクセス
最寄駅:泉北高速鉄道「泉ヶ丘駅」
最寄りの泉北高速鉄道「泉ヶ丘駅」から南海バス「宮山台回り」か「堺東行き」、または「津久野駅行き」に乗り、「宮山台2丁」で下車することで訪れることができます。
海岸寺と多治速比売神社は、共に堺市の文化的・歴史的価値を感じられるスポットです。周囲には自然豊かな公園も広がり、散策と共に訪れることでさらに楽しさが広がります。堺市を訪れる際には、ぜひこれらの神社仏閣を巡ってみてください。