日根神社の歴史
日根神社の創建は古く、その正確な時期は不明ですが、社伝によると神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれひこのみこと)が大和に進む際、長髄彦(ながすねひこ)との戦いに敗れて退却した地として伝えられています。この地で「日」の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)と「根」の神である須佐之男命(すさのおのみこと)を祀り、戦いに勝利した後、大和を平定したとされています。この出来事を契機に、この地は「日根野」と呼ばれ、神社名は「日根神社」とされました。
霊亀2年(716年)には、和泉五社のひとつに数えられ、延喜式内社として記載されていることから、1200年以上の歴史があると考えられます。また、天武天皇2年(673年)には隣接地に無辺光院(現在の慈眼院)が建立されました。さらに、聖武天皇の御代である天平14年(742年)には、大旱魃の際に500石を朝廷から賜るなど、朝廷との関わりも深い歴史を持っています。
天正年間の再建と明治時代の変革
天正年間(1573年~1593年)には兵火により焼失しましたが、天正13年(1585年)には羽柴秀吉により社領が没収されました。その後、慶長7年(1602年)には豊臣秀頼の命により社殿が再建されました。明治時代に入ると神仏分離が行われ、無辺光院(慈眼院)と分離されました。1873年(明治6年)には郷社に指定され、1924年(大正13年)には府社に昇格しました。本殿は1972年(昭和47年)に大阪府指定有形文化財に指定されています。また、隣接地には大井関自然公園があり、春には美しい景観を楽しむことができます。
主祭神と境内の神社
日根神社の主祭神は鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、玉依姫尊(たまよりひめのみこと)、そして四王子(五瀬命・稲冰命・御毛沼命・若御毛沼命)と億斯富使主(おきしふつかいしぬし)です。
境内にある社殿と構造
- 比賣神社(ひめじんじゃ): 大日靈貴尊(おおひるめのむちのみこと)と素盞嗚命(すさのおのみこと)を祭神としており、式内社に列せられています。社殿は大阪府指定有形文化財です。
- 丹生神社(野々宮): 丹生都比売大神(にうつひめおおかみ)と丹生高野御子大神(たかののおかみ)を祭神とし、和歌山県の丹生都毘売神社を本社としています。毎年10月10日に祭礼が行われます。
- 恵毘須宮: 事代主尊(ことしろぬしのみこと)を祀り、天保11年に遷宮されたとされています。
社殿
日根神社の本殿と拝殿は、共に慶長7年(1602年)に豊臣秀頼によって再建されました。また、神門や社務所も神社の歴史と伝統を感じさせる重要な建造物です。特に社務所は元々無辺光院(慈眼院)の塔頭であった「下之坊」と呼ばれる建物を転用しています。
御旅所について
日根神社の御旅所は、泉佐野市長滝の熊野街道沿いに位置し、地域の伝統行事において重要な役割を果たしています。北緯34度23分20秒、東経135度18分35秒の位置にあり、神社から離れた場所に設けられていることも、歴史的な特徴のひとつです。
日根神社の祭礼
日根神社では、毎年5月5日に「まくら祭」が行われています。これは、地域の重要な伝統行事であり、多くの参拝者や観光客が訪れる行事となっています。その他にも、豊かな自然とともに受け継がれる神事が行われ、地元の人々に親しまれています。
文化財指定と重要な遺跡
日根神社は、国指定の史跡である「日根荘遺跡」の一部としても含まれています。大阪府指定有形文化財として本殿と比賣神社社殿が指定されています。また、「日根神社まくらまつり」は大阪市指定の無形民俗文化財に指定され、地元の文化と信仰が今も息づいています。
大井関明神とも呼ばれる神武天皇ゆかりの古社
日根神社はその深い歴史と豊かな文化遺産により、訪れる人々に歴史の息吹と地元の信仰を感じさせてくれます。隣接する大井関自然公園の美しい自然環境とともに、心の癒しを提供する場所です。大阪府泉佐野市にお越しの際には、ぜひ日根神社に足を運び、その歴史と自然の調和を体感してみてください。