概要
旧堺燈台は、六角形の木造建築で、高さは約11.3メートルあります。1877年(明治10年)に完成し、1968年(昭和43年)まで使用されていました。その後、1972年(昭和47年)には国の史跡に指定されています。
2005年から始まった保存解体修理が2007年に完了し、翌年には第28回大阪都市景観建築賞の奨励賞も受賞しました。
歴史
江戸時代の堺港における灯台の変遷については、『堺市史史料』に記録が残されています。この史料には、1689年(元禄2年)に堺港に初めて灯台が建設されて以降、明治時代に至るまでに7期にわたり位置を変えながら新設されてきた経緯が記されています。
堺港は、1704年(宝永元年)の大和川の付替えに伴う土砂の流入などにより何度も修築を重ね、それに応じて灯台も位置を変えながら規模を拡大していきました。この変遷は、堺の町の発展を象徴するものといえます。
旧堺燈台の建設
明治時代初期には、堺港の改修が進み、新たな灯台の設置が求められていました。このような状況下で、堺の有力者である高山保次郎らが自ら基金を出し合い、堺県からの補助金を受けつつ、洋式灯台の建設が実現しました。灯台の建設には、イギリス人技師の指導のもと、堺の地元職人が携わり、1877年に大波止(南突堤)の西端に灯台が完成しました。初めて点灯したのは同年の9月15日で、光源には石油ランプが用いられ、その光は約18キロメートル先まで届いたとされています。
灯台の役目の終焉
旧堺燈台は、時代の流れとともにその役割が薄れ、1959年から始まった堺泉北臨海工業地帯の埋め立てにより、灯台としての機能が失われていきました。その結果、灯台は1968年(昭和43年)に廃止され、約90年にわたる歴史に幕を下ろしました。
旧堺燈台の保存と象徴
旧堺燈台は堺市のシンボルのひとつとして、市内の各所でそのモチーフが使用されています。堺区内には、旧堺燈台を模した公衆電話ボックスや時計台が設置されており、また旧堺燈台のデザインを取り入れたマンホールも街中で見ることができます。1997年(平成9年)のなみはや国体を記念して、堺市内の和菓子業者らが共同で、旧堺燈台をかたどった和菓子「堺燈台もなか」を開発しました。
近年では、海の日に合わせて、旧堺燈台の内部が一般公開されるイベントも行われています。
旧堺港と周辺エリア
旧堺港の沿岸部はプロムナードとして整備されており、大波止には詩人・伊東静雄の歌碑『燈台の光を見つつ』が設置されています。また、2000年には、かつて大浜公園にあった龍女神像が小波止(北突堤)の波除住吉神社跡地に再設置され、旧堺燈台とともに象徴的な存在となっています。
旧堺燈台へのアクセス
旧堺燈台は、南海本線 堺駅から徒歩約12分の位置にあります。また、近隣には大浜公園や阪神高速4号湾岸線大浜出入口もあり、アクセスにも便利です。
旧堺燈台は歴史とともに堺市の発展を見守ってきた象徴的な建築物であり、訪れることで堺の歴史や人々の暮らしに触れることができます。