歴史
法道寺の歴史は、7世紀中ごろに遡ります。寺伝によれば、法道(空鉢)仙人が白鳳10年(670年)にこの地で開基し、山号は彼が当地に鉢を納めたことに由来しています。法道仙人が行った飛鉢の法による霊験が、天智天皇に届いたとされています。これにより、天智天皇の勅願により閑谷院長福寺として開創され、その後、法道仙人の霊験を記念して発展していきました。
法道寺は、初め「長福寺」として多くの支院を有し、平安時代前期には、空海や最澄、円仁などが参篭したことで、仏教界での重要な拠点として栄えました。しかし、兵火により一度衰退し、その後江戸時代に再興されました。江戸時代、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の嫡男・長福丸(後の9代将軍家重)が後継となった際に、「長福」の名前を避けるため、法道寺に改名されました。
文化財と建築
法道寺は、重要文化財を多く有する寺院としても知られています。特に鎌倉時代の「食堂」や南北朝時代の「多宝塔」は、府内でも貴重な文化財として高く評価されています。
食堂(じきどう)は鎌倉時代後期に建てられ、当時の仏教寺院において僧侶が法会の際に食事を取る場所として使用されました。大阪府内では金剛寺の食堂と並ぶ貴重な遺構となっています。
多宝塔は正平23年(1368年)に建立され、上層が唐様、下層が和様で建てられています。多宝塔の屋根には亀腹の上に蟇股が配置され、珍しい造りとなっており、その建築様式が非常に貴重とされています。
また、十六羅漢像は漢画系の作品で、宋画の写しとされています。この像は、法道寺の仏教文化を伝える重要な美術品です。さらに、楼門に安置されている金剛力士像は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に造像されたことが分かっており、その存在は法道寺の歴史的な価値をさらに高めています。
境内の見どころ
法道寺の境内には、見どころが数多く点在しています。特に注目すべきは、次の建物や文化財です。
- 金堂 - 本堂としての役割を果たす建物。
- 多宝塔(重要文化財) - 南北朝時代の建造物で、上層唐様、下層和様の造り。
- 食堂(重要文化財) - 鎌倉時代後期の重要な建物。
- 大師堂 - 高野山真言宗の大師を祀る堂。
- 南門 - 境内に入り口として位置する門。
- 楼門 - 立派な造りの門で、金剛力士像が安置されています。
- 庫裏 - 住職が住むための建物。
文化財
法道寺には、いくつかの重要文化財や市指定文化財が保存されています。
- 絹本著色十六羅漢図(十六羅漢像) - 重要文化財で、仏教の聖人たちを描いた絵画。
- 木造阿弥陀如来坐像 - 阿弥陀仏を描いた木彫の像。
- 木造金剛力士像 2体 - 弘安6年(1283年)作の木彫像。
- 絹本著色 阿弥陀三尊図 - 高麗仏画で、濃厚な色彩と金泥が特徴的です。
また、堺市指定保存樹木には、境内のイヌマキの木があります。この木も法道寺の文化財の一部として保存されています。
アクセスと駐車場
法道寺へのアクセスは、泉北高速鉄道「泉ケ丘駅」から南海バス「鉢ヶ峯バス停」で下車することができます。徒歩でのアクセスも可能で、周辺には他の観光地やハイキングコースも整備されています。
駐車場は無料で提供されており、乗用車50台分のスペースがありますので、車での訪問も便利です。
法道寺は、その長い歴史と貴重な文化財を誇る寺院であり、訪れる人々に深い感動を与えています。特に重要文化財である多宝塔や食堂、十六羅漢像など、歴史的な価値が高い品々が保存されており、仏教文化に触れることができる貴重な場所です。