百舌鳥古墳群の概要
百舌鳥古墳群は、半壊したものも含めて44基の古墳で構成されており、そのうち19基は国の史跡に指定されています。さらに、宮内庁により3基が天皇陵に、2基が陵墓参考地に、18基が陵墓陪冢として治定されています。かつては100基以上の古墳が存在していましたが、戦後の宅地開発により半数以上が破壊されました。
構成と特徴
百舌鳥古墳群は、前方後円墳のような巨大な墳墓が特徴的で、古市古墳群と並び称されています。代表的なものとして、大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)やミサンザイ古墳など、墳丘長200m以上の大型前方後円墳が4基含まれています。
位置と構造
この古墳群は堺市北西部に位置し、古代の海岸線に近い上町台地に続く台地上に築かれています。古墳は約4キロメートル四方の範囲にわたって分布し、南向きに築かれたものや百済川の谷沿いに築かれたものなど多様な配置が見られます。
代表的な古墳
- 大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵) - 全長486メートルの日本最大の前方後円墳で、堺市のシンボルとしても知られています。
- ミサンザイ古墳 - 伝履中天皇陵とされる古墳で、その壮大な規模は古代日本の土木技術の高さを示しています。
百舌鳥古墳群の歴史的意義
百舌鳥古墳群は、日本の古墳文化が繁栄した4~6世紀の社会構造や文化交流を示す重要な証拠とされています。古墳の形状や副葬品、埴輪(はにわ)などは、当時の技術や宗教観を反映しており、日本各地の古墳に影響を与えました。
世界遺産登録への道のり
百舌鳥古墳群と古市古墳群は、2008年に世界遺産候補地として国内の暫定リストに追加されました。その後、さまざまな調査と準備を経て、2019年7月6日にアゼルバイジャンで開催された第43回世界遺産委員会で、百舌鳥古墳群に属する23基の古墳が正式に世界遺産に登録されました。
調査と発見
2009年度に堺市教育委員会が実施した調査によって、聖塚古墳と舞台塚古墳は古墳ではなく中世以降に築かれた塚であることが判明しました。このように、詳細な調査により新たな発見がなされ、歴史的な理解が深められています。
百舌鳥古墳群と他の古墳群の位置関係
百舌鳥古墳群は、他の日本国内外の古墳群と比較しても、その規模や形態において際立っています。たとえば、韓国の慶州歴史地域や百済歴史地域、北朝鮮の高句麗古墳群などと比較されることが多く、日本の前方後円墳の独自性や文化的背景が強調されています。
文化的・社会的背景
百舌鳥古墳群の造営には膨大な労働力が必要とされ、その巨大さは当時の支配者の権威を示すものです。また、その周囲に中小の古墳が配置されており、社会的な階層性を反映していると考えられています。
顕著な普遍的価値の証明
文化庁は、百舌鳥・古市古墳群が他の遺産に比べて独自性を持ち、古墳時代の文化の特質を示す顕著な普遍的価値を持つと評価しています。この評価は、東アジア全体の文化の影響が見られるという視点も含まれ、2012年に開催された国際シンポジウムでも議論されました。
世界遺産推薦への課題と対策
百舌鳥・古市古墳群は、長年にわたって世界遺産推薦のための課題を克服してきましたが、依然としていくつかの問題が残されています。たとえば、墳墓の向きや被葬者の不明確さ、日本独自の形状とされる前方後円墳が韓国にも見られる点など、国際的な比較検討が必要とされています。
課題の一例
- 古墳の形や規模に基づいた社会的階層性の分類の必要性
- 副葬品の検証を通じた被葬者の特定や社会的背景の解明
- 古墳時代の文化の特質を東アジア文化史の視点から説明する必要性
保護と管理
百舌鳥古墳群の保護と管理は、地域社会や自治体と協力して行われています。墳丘上の植生管理や歴史的景観の維持に関する取り組みが進められ、将来の保存に向けてさまざまな対策が講じられています。
まとめ
百舌鳥古墳群は、日本の歴史と文化の重要な一部として、また古墳文化の象徴として、国内外で高く評価されています。これからも世界遺産としての価値を維持し、次世代にその魅力を伝えていくため、引き続き保護と研究が進められることが期待されます。