祭神と摂社
祭神
陶荒田神社には以下の神々が祀られています:
- 高魂命
- 劔根命(つるぎねのみこと)
- 八重事代主命
- 菅原道真公
摂社
陶荒田神社にはいくつかの摂社があり、それぞれが異なる神を祀っています:
- 戎殿:八重事代主命
- 弁天社:市杵嶋姫命
- 山田神社:活玉依姫命(太田田根子命)
- 太田神社:太田々弥古命(太田田根子の母)
- 玉の緒神社:天御中主命
陶荒田神社の由緒
陶荒田神社は紀元前90年、崇神天皇の時代に創建されたと伝えられています。当時、大規模な疫病が流行し、国が荒廃していたところ、崇神天皇の夢に大物主の神が現れ、「太田田根子を神主に立てて自分を祀るなら、病を治めよう」とのお告げがありました。天皇は茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)に住む太田田根子を探し出し、奈良の三輪山の神主に任命して大物主神を祀らせました。
「陶荒田神社」の名は、陶邑の大田の森に住んでいた「荒田直」(あれたのあたひ)にちなんで名付けられたとされており、荒田直は高魂命の直系の子孫と伝えられています。
須恵器について
須恵器(すえき)は、古墳時代から平安時代にかけて日本で生産された陶質土器(炻器)です。その特徴的な青灰色と硬さで知られ、土師器とは質や色が異なるため区別されます。須恵器は釉薬を使用しない陶器で、まれに「自然釉」と呼ばれる自然にできた釉がかかることもあります。
須恵器の名称と由来
平安時代には「陶器」と書いて「すえもの」「すえうつわもの」と読まれていましたが、後に「須恵器」という当て字が考案されました。また、奈良時代の僧である行基が民衆に作陶技術を伝えたとされ、「行基焼」(ぎょうきやき)とも呼ばれることがあります。
須恵器の製造技術と特徴
須恵器は、朝鮮半島(特に伽耶)の技術が日本に伝わり、陶邑窯跡群で作られ始めました。須恵器の製法には高温焼成が用いられ、特に「窖窯(あながま)」と呼ばれる地下式・半地下式の登り窯で焼成されました。これにより、表面が青灰色になり、硬く焼き締まった仕上がりとなります。
陶邑窯跡群とその歴史
大阪府堺市を中心に広がる陶邑窯跡群は、日本列島で初めて須恵器が製造された場所とされ、5世紀中頃には本格的な須恵器生産が始まりました。陶邑窯跡群で生産された須恵器は、ヤマト王権の影響のもとで品質管理がなされ、標準化された製品が作られました。
古墳時代中期に陶邑窯跡群で製造が始まった須恵器は、陶邑様式と呼ばれ、他地域へも広がりました。また、陶邑窯跡群は「日本三大古窯」の一つとされ、日本の窯業の歴史において重要な位置を占めています。
須恵器の分布と系譜
須恵器の製造技術は全国に広まり、福岡県、兵庫県、大阪府などにも須恵器窯跡が点在しています。これらの須恵器窯では、陶邑様式に基づく須恵器が生産され、古代日本における焼物の発展に大きく貢献しました。
陶荒田神社と須恵器の文化的意義
陶荒田神社と須恵器の文化は、堺市の歴史や日本の窯業の発展において重要な役割を果たしています。陶荒田神社は技術・製造業の守護神として現在も参拝者に親しまれており、地域の文化的なシンボルともなっています。須恵器は、単なる焼物としてだけでなく、日本文化の基盤を築いた重要な遺産として、その製法と歴史が評価されています。
これからも陶荒田神社と須恵器の歴史と文化は後世に受け継がれていくことでしょう。