施福寺の概要
施福寺は歴史ある天台宗の寺院で、西国三十三所巡礼の中でも有名な札所のひとつです。本尊として弥勒如来坐像が祀られており、札所本尊である十一面千手観世音菩薩も併せて祀られています。また、参拝者の間では「巻の尾寺(まきのおてら)」とも呼ばれています。
施福寺のご詠歌
施福寺のご詠歌には、次のような詩が詠まれています。
深山路や檜原松原わけゆけば 巻の尾寺に駒ぞいさめる
施福寺の歴史
創建伝承
施福寺は古くは「槇尾山寺」として知られており、葛城修験系の山岳寺院として創建されたと考えられています。寺史である『槇尾山大縁起』(正平15年・1360年書写)によると、欽明天皇の時代(539年 - 571年)に播磨国出身の行満上人によって創建されたと伝えられています。
札所本尊千手観音の由来
宝亀2年(771年)、この寺に一人の修行僧が現れ、夏安居を過ごしたいと申し出ました。この修行僧は熱心に修行に励みましたが、期間終了後に旅費を乞われた寺僧たちはそれを拒否しました。この修行僧は激怒して寺を去り、その後、観音菩薩の化身だったと悟った法海は千手観音の像を刻み祀ったとされています。
空海や役小角との関わり
伝承によれば、役小角(役行者)や空海(弘法大師)など、歴史上の著名な僧侶もこの寺に関わりがあるとされています。特に空海は延暦12年(793年)に槇尾山寺で出家剃髪したとされていますが、実際にその場で剃髪したかは不明です。しかし、空海が帰国後この寺に滞在した可能性は指摘されています。
中世以降の施福寺
南北朝時代には、施福寺は南朝方の拠点の一つとなり、その結果として多くの戦火に見舞われました。天正9年(1581年)には、織田信長と対立して全山焼失しましたが、後に豊臣秀頼の支援で復興されました。近世には徳川家の支援を受け、真言宗から天台宗に改宗され、江戸寛永寺の末寺となりました。
施福寺の境内
参道と本堂
麓にある駐車場から約30分から40分の急峻な階段を登ると、標高475メートル付近に本堂があります。施福寺は西国三十三所の中でも険しい参道で知られており、多くの参拝者がハイキングを兼ねて訪れます。現在の本堂は1845年の火災後に再建されたもので、札所本尊である十一面千手観音像が祀られています。
各堂宇
- 大師堂 - 弘法大師を祀る堂です。
- 護摩堂 - 火を使った護摩祈祷が行われる堂です。
- 観音堂 - 西国三十三所観音霊場の各札所本尊を模した33体の観音像が祀られています。
- 愛染堂 - 弘法大師が剃髪したとされる場所に建てられています。
- 仁王門 - 豊臣秀頼によって再建された門です。
施福寺の文化財
重要文化財
槇尾山大縁起 - 南北朝時代の作であり、現在は大阪市立美術館に寄託されています。
大阪府指定有形文化財
- 不動明王及び二童子 - いずみの国歴史館に寄託されています。
- 施福寺参詣曼荼羅図 - 大阪府の有形文化財として指定されています。
和泉市指定有形文化財
- 地蔵菩薩立像
- 千手観音立像
施福寺の行事
施福寺では、年間を通じて様々な行事が行われています。中でも注目すべき行事は以下の通りです。
- 1月8日 - 碑伝木建て
- 4月21日 - 弘法大師御影供
- 5月1日から15日 - 開扉法要(年1回の札所本尊開帳)
- 8月9日 - 観音千日会
- 毎月18日 - 観音法会
札所の前後
施福寺は西国三十三所第4番札所に位置しており、前後の札所は以下の通りです。
- 3番札所 - 粉河寺
- 5番札所 - 葛井寺
関係する寺社
施福寺には、関連する寺社も存在し、特に槇尾山明神社が有名です。この神社は弘法大師が修行した際に縁があったとされ、和歌山県九度山町に位置しています。