概要
願泉寺は、大阪府貝塚市に位置し、地元の信仰の中心として親しまれています。その起源は、奈良時代の僧行基が建てた庵寺に遡ります。本尊である阿弥陀如来立像も行基の作とされています。
歴史
創建と発展
願泉寺の歴史は、応仁年間(1467年 - 1469年)に本願寺の法主蓮如が行基の遺跡に逗留したことが始まりとされています。その後、天文19年(1550年)には本願寺法主証如によって「海塚坊」が建立され、浄土真宗の貝塚道場が成立しました。
織田信長による焼き討ち
天正5年(1577年)、織田信長の紀州攻めにより貝塚道場と寺内町は焼き討ちされ全焼しました。しかし、天正8年(1580年)には本願寺法主顕如の指導のもとで復興が進められました。
本山としての役割
天正11年(1583年)、顕如が貝塚道場を貝塚本願寺として本山に指定しました。この役割は天正13年(1585年)に天満本願寺へ本山が移るまでの2年間続きました。
江戸時代以降の自治
慶長12年(1607年)には「願泉寺」の寺号が授けられ、以降、寺内の自治が確立しました。特に、寺内に堀を掘り巡らせるなどの防衛的な措置が取られたことが特徴的です。
太平洋戦争中の被害
第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)、堺大空襲の際に鐘楼が焼失するなどの被害を受けました。その後、鐘楼は1948年(昭和23年)に再建されました。
境内
願泉寺の境内には、歴史的建造物や貴重な文化財が数多く存在します。
本堂(重要文化財)
本堂は寛文3年(1663年)に再建されました。老朽化により2004年から2011年にかけて修理が行われています。
鐘楼
鐘楼は元禄15年(1702年)の建造物で、貞応3年(1224年)作の銅鐘(大阪府指定有形文化財)が吊られています。
その他の建造物
書院(大阪市指定有形文化財)、経蔵、太鼓堂、井戸屋形など、多くの重要文化財や指定文化財があります。
文化財
願泉寺には、重要文化財や指定有形文化財として以下のものがあります:
- 本堂
- 太鼓堂
- 表門(附:鐘楼、目隠塀、築地塀)
- 銅鐘(大阪府指定有形文化財)
- 書院、経蔵(附:井戸屋形)
- 絹本著色親鸞聖人画像など、多数の絵画
交通アクセス
願泉寺へのアクセスは以下の通りです:
- 南海本線・水間鉄道水間線 貝塚駅から徒歩5分
まとめ
願泉寺は、浄土真宗の歴史を体現する寺院であり、貴重な文化財や建造物が多く保存されています。歴史好きな方や建築物に興味のある方には特におすすめの観光地です。