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天性寺

(てんしょうじ)

天性寺は、大阪府岸和田市南町に位置する浄土宗の寺院で、山号は護持山、院号は朝光院とされています。本尊には阿弥陀如来と地蔵菩薩が祀られており、特に地蔵菩薩は「蛸地蔵(たこじぞう)」として親しまれています。この「蛸地蔵」という名は、当寺院の別称となり、また最寄り駅である南海本線の蛸地蔵駅の名前にもなっています。

天性寺の概要

天性寺は岸和田市の歴史や信仰に深く関わっており、地域住民や参拝者に長く愛されています。寺院の敷地には阿弥陀如来と蛸地蔵として知られる地蔵菩薩像が安置されており、参拝者は地蔵菩薩の御利益を求めて足を運びます。

所在地

天性寺は大阪府岸和田市南町に位置しており、最寄りの南海本線蛸地蔵駅から徒歩でアクセスできる便利な場所にあります。

天性寺の沿革

創建と歴史

天性寺の創建は元亀元年(1570年)と伝えられていますが、天保年間の火災により記録を失い、詳細は不明です。ただし、『増上寺史料集』の第五巻に収録された『浄土宗寺院史』にある「泉州寺院開山帳 岸和田組」によると、寛永2年(1625年)に得譽上人が建立したとされています。その後、寛文13年(1673年)までの48年間、得譽上人が住職を務めていました。

蛸地蔵伝説

『天性寺聖地蔵尊縁起』によれば、建武年間に岸和田城が高波に襲われた際、海の彼方から大蛸に乗った法師が現れ、波風を鎮めて城を守ったと伝えられています。この法師は地蔵菩薩の化身であるとされ、以後、人々から「蛸地蔵」と呼ばれるようになりました。

小牧・長久手の戦いと蛸地蔵の伝説

天正12年(1584年)、豊臣秀吉が尾張へ向けて出陣した隙を突いて、紀州の一向一揆の軍勢が岸和田城を攻めました。中村一氏が寡兵で守る城が危うくなったとき、大蛸に乗った法師が現れて紀州勢を撃退したと伝わります。この法師が現れたおかげで、戦況は一転し、城は守られました。この出来事から、法師は地蔵菩薩の化身と考えられるようになり、蛸地蔵として祀られるようになりました。

天性寺の地蔵堂と蛸地蔵

日本一大きな地蔵堂

その後、地蔵菩薩像は、一般の人々もその御利益を受けられるよう、日本一大きいとされる地蔵堂に安置されることとなりました。この地蔵堂には多くの参拝者が訪れ、日々の祈りを捧げています。

地蔵盆「千日大法会」

天性寺の秘仏である蛸地蔵は、毎年8月23日と24日に開催される地蔵盆の「千日大法会」で開帳されます。この日には、家内安全や無病息災を願う多くの参拝者が訪れ、にぎわいを見せます。

蛸絵馬

天性寺には蛸をかたどったユニークな絵馬が無数に奉納されています。これは蛸を食べずに願をかける習わしに基づいたもので、参拝者が自身の願いを込めて奉納しています。

天性寺への交通アクセス

天性寺へのアクセス方法についてご案内します。

最寄り駅からのアクセス

天性寺は南海本線の蛸地蔵駅より北西に約500メートルの場所にあります。駅から徒歩で数分の距離なので、訪れやすい場所です。

ローズバスを利用する場合

ローズバス南ループの南町停留所からもすぐ近くにあります。ローズバスは南海本線の岸和田駅前や阪和線の下松駅前を経由しており、公共交通機関を利用してのアクセスも便利です。

車でのアクセス

阪神高速4号湾岸線の岸和田南出入口から車で約5分の距離にあり、参拝者用の無料駐車場も完備されていますので、車での訪問にも便利です。

関連項目

天性寺はその長い歴史とともに、地元岸和田の文化や信仰に根付いた大切な存在です。蛸地蔵の伝説や地蔵堂の壮大さは、多くの人々に敬われ、親しまれています。岸和田を訪れる際には、ぜひ天性寺を訪れ、その歴史や伝説に触れてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
天性寺
(てんしょうじ)

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