鳥居と境内
三の丸神社の鳥居は、神社への入り口として厳かに立ち、参拝者を迎え入れます。境内には美しい自然が広がり、参拝者に静寂と安らぎを与えます。春には桜、秋には紅葉が楽しめ、四季折々の風景を楽しめるのも魅力の一つです。
三の丸神社の由緒
神社の創建
三の丸神社の創建は南北朝時代の延元元年(1336年)に遡ります。社伝によれば、楠木正成の一族である和田正儀が岸和田城(岸和田古城)の守護のため、城内に創建したと伝えられています。一部の説では、この和田正儀が楠木正儀と同一人物であるとされていますが、1336年の時点で楠木正儀はまだ6歳ほどであったため、別人であるとする見解もあります。
遷座と再建
15世紀中頃、岸和田城は現在地に移転し、三の丸神社も寛永17年(1640年)、岡部氏の岸和田入封後に現在の場所に遷座されました。元禄14年(1701年)には岸和田藩主岡部氏3代の岡部長泰が伏見稲荷大社を勧請し、稲荷神を祀るようになりました。
岸和田だんじり祭の起源
宝永元年(1704年)には、三の丸神社において稲荷祭が盛大に行われました。これは岸和田藩も関わった大和川の付け替え工事の竣工祝いと重なり、多くの人々が参加しました。この祭礼が現在の「岸和田だんじり祭」の原型となったとされています。特に「宮入り」として知られる祭りのクライマックスは、かつては「城入り」と呼ばれ、明治維新ごろまでは三の丸神社で行われていたとされています。
今川義元の兜
1935年(昭和10年)、三の丸神社の祭壇から金色の兜が発見されました。この兜は、桶狭間の戦いで敗北した今川義元のもので、義元の家臣であった岡部元信が、鳴海城を織田方に引き渡す際に義元の首とともに渡されたと伝えられています。この兜は三の丸神社に伝わる貴重な遺物として、歴史的な価値を持っています。
桶狭間の戦いと今川義元
桶狭間の戦いは戦国時代の有名な合戦であり、1560年に尾張国桶狭間で今川義元率いる軍勢が織田信長に敗れた戦いです。岡部元信は義元の家臣としてこの戦いに参加していましたが、義元が討ち死にした後、鳴海城を明け渡す際に義元の兜を織田方に引き渡したとされています。このような背景から、三の丸神社に伝わる兜は、戦国時代の悲劇と忠義を象徴するものとして保存されています。
岸和田だんじり祭と三の丸神社
岸和田だんじり祭は、現在では岸城神社で行われていますが、その起源は三の丸神社で行われた稲荷祭に遡るとされています。だんじり祭は大きな山車(だんじり)を曳き、街中を練り歩く勇壮な祭りで、全国的にも有名です。この祭りは地元住民の協力のもと盛大に開催され、多くの観光客を惹きつけます。
祭りの起源と意義
岸和田だんじり祭の起源とされる稲荷祭は、当初は農作物の豊作を祈願する祭礼でしたが、現在では地域の絆を深める行事として発展しました。だんじりを曳く際の「城入り」の伝統は、三の丸神社での儀式がもととなっており、岸和田の文化と歴史を伝える大切な行事となっています。
アクセス情報
三の丸神社へのアクセスは、電車やバスを利用するのが便利です。最寄り駅は南海本線の岸和田駅で、駅から徒歩圏内に位置しています。周辺には岸和田城や公園もあり、観光と合わせて訪れるのがおすすめです。
開門時間と参拝マナー
三の丸神社は年中無休で開放されていますが、参拝の際には静粛に過ごし、他の参拝者への配慮を心がけることが大切です。特に、だんじり祭のシーズンは混雑が予想されるため、訪問時期を計画しておくと良いでしょう。
まとめ
三の丸神社は、その長い歴史と岸和田だんじり祭との関わりから、地域の人々に愛され続けてきました。岸和田城や周辺の観光スポットと併せて訪れることで、岸和田の歴史と文化をより深く理解することができます。今川義元の兜や南北朝時代の創建伝承など、多くの興味深い歴史的なエピソードが詰まった神社であり、観光客にとっても見どころ満載のスポットです。