祭神
日部神社の主祭神は、彦坐王、神武天皇、および道臣命です。これらの神々は、日本の歴史と神話において重要な存在であり、特に彦坐命は、当地に居住していた豪族・日下部首氏(くさかべのおびとし)の祖神とされています。この一族には、浦島太郎で知られる伝説の人物もいたと言われています。
また、明治時代の神社合祀により、以下の神々もお祀りしています。
- 素盞嗚尊(旧八坂神社の祭神)
- 伊弉冉尊(旧熊野神社の祭神)
- 菅原道真(旧菅原神社の祭神)
歴史
日部神社の創建時期は不明ですが、『古事記伝』によると、神武天皇が東征の際にこの地域に上陸し、長髄彦(ながすねひこ)との戦いを繰り広げた「日下の蓼津」が、この付近であったとされています。このように、神武天皇に関わる古い伝承が残っている神社です。
また、1911年(明治44年)には、八坂神社・熊野神社・菅原神社を日部神社に合祀し、旧八坂神社の社地に移されました。これにより、各神社の祭神が日部神社に一体として祀られることとなりました。
境内の概要
日部神社の現社地および本殿・神門は、もともと旧八坂神社のものであり、歴史的な建造物が残されています。本殿前にある石燈籠には「正平二十四年卯月八日」の銘が刻まれており、この本殿が南北朝時代から室町時代にかけて建造されたと見られています。本殿および石燈籠は、1917年(大正6年)に重要文化財に指定されています。
本殿は、牛頭天王にちなんだ多様な彫刻で装飾されており、牛、唐獅子、碁を打つ二人の人物、鳩と松、鴛鴦などの精巧な彫り物が施されています。これらの装飾は、彫刻技法においても大変貴重なものです。
本殿と石燈籠
本殿は、一見すると質素に見えるものの、南北朝時代を代表する武将・楠木正儀(くすのきまさのり)が寄進したものと伝えられており、その歴史的価値は計り知れません。正平24年(1369年)に製作された石燈籠は、すっきりとした形状と精巧な彫刻が特徴で、石質は和泉砂岩を使用しており、各部には四天王立像や宝相華唐草文が彫られています。
この石燈籠は、火炎宝珠を載せた独特のデザインで、全国的にも珍しい様式を備えています。製作年代が明確であり、工芸的にも優れた作品として非常に貴重です。
神門
神門は、桃山時代の様式を引き継ぐ四脚門で、17世紀前期の建造とされます。歴史的な価値が高く、2008年(平成20年)には堺市指定有形文化財に指定されました。この神門は堅牢で美しい造りであり、訪れる人々に神社の威厳を感じさせます。
旧社地と御山古墳
日部神社の旧社地は、現在地から南に約300メートル離れた場所にあり、道臣命が埋葬されていると伝えられる御山古墳の近くに位置していました。この旧社地は、日部神社の遷座後に民間に売却され、現在では住宅地となっていますが、古墳は今も神社の歴史を伝えています。
祭事・年中行事
日部神社では、季節ごとに地域の伝統を感じる祭事が行われています。
- 夏祭(7月13日)
- 地車(だんじり)祭(10月5日)
これらの祭りは、地域の人々によって大切に守り続けられており、参拝者が神社の歴史と共にその文化を感じることができる貴重な行事です。
文化財
日部神社には、歴史的・文化的に価値の高い建造物や遺物が多く残されています。
重要文化財
- 本殿 - 南北朝時代に建造されたもの。
- 石燈籠 - 南北朝時代の正平24年(1369年)に製作。
堺市指定文化財
- 神門 - 江戸時代に建造され、堺市指定有形文化財。
まとめ
日部神社は、堺市西区草部にある由緒ある神社で、多くの重要文化財を抱えています。歴史的な祭神や彫刻、そして南北朝時代の名将に寄進された本殿や石燈籠など、日本の歴史と文化を感じることができる貴重な場所です。また、地域に根付いた祭事や年中行事も開催されており、地域の人々と神社の歴史的な絆が見て取れます。観光や参拝を通じて、この神社の歴史と文化に触れることで、より深い日本の歴史理解が得られることでしょう。