歴史
創建と伝説
創建年代は不詳ですが、天湯河板挙が祖先の角凝命(つのこりのみこと)を祀ったのが始まりとされています。この地は鳥取郷の総社で、「鳥取大宮」として知られていました。
波太八幡宮への変遷
室町時代初期、兵火によって焼失した後、現在地に移転しました。この際、同時に焼失した貝掛神社(現・指出森神社)の祭神である応神天皇を合祀し、「波太八幡宮」とも呼ばれるようになりました。
戦乱と復興
天正5年(1577年)の織田信長による紀州征伐では信長の本陣が置かれ、天正13年(1585年)の羽柴秀吉の紀州征伐では焼き討ちされ全焼。その後、慶長5年(1600年)に豊臣秀頼が社殿を再建しましたが、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で徳川方によって再び焼失しました。 現在の本殿は寛永15年(1638年)に再建されたものです。
江戸時代と「伏拝の鳥居」
江戸時代には紀州徳川家が参勤交代の際、伏拝(遥拝)できる「伏拝の鳥居」を建立。この風習は熊野詣参拝者にも広まりました。
明治以降
明治時代には府社に列せられ、現在に至るまで多くの参拝者を迎えています。
祭神
主祭神
角凝命(つのこりのみこと) - 地域の豪族である鳥取氏の祖神です。
相殿神
応神天皇
境内
本殿
寛永15年(1638年)に再建され、重要文化財に指定されています。
その他の建造物
- 山神社 - 祭神:大山祇命
- 三神社(重要文化財) - 祭神:神功皇后、武内宿禰、天湯河板拳命
- 鳥取神社 - 祭神:天忍穂耳命
- 鳥取戎社 - 祭神:八重事代主命
- 拝殿、社務所、石灯籠、舞台など
文化財
重要文化財
本殿と末社三神社本殿が重要文化財に指定されています。
大阪府指定有形文化財
波太神社三十六歌仙扁額 36枚
祭事
例祭は10月第2日曜日および第3月曜日に開催され、地域住民にとって重要な行事となっています。
交通アクセス
- 南海電気鉄道南海本線「尾崎駅」から徒歩20分、またはバス「波太神社前」下車すぐ
- JR阪和線「和泉鳥取駅」から徒歩15分
まとめ
波太神社は、その豊かな歴史と文化財、地域への深い関わりから、大阪府内でも特に魅力的な観光地のひとつです。ぜひ足を運んでみてください。