墳丘の構造と副葬品
御廟山古墳の主体部の構造や副葬品については不明な点が多く残されています。宮内庁がこの古墳を「百舌鳥陵墓参考地」として管理しており、考古学的な発掘調査が難しいためです。現在のところ、墳丘の規模や構造に関する情報が限られているため、さらに詳細な研究が待たれる状況です。
2008年の発掘調査
2008年には墳丘部の周囲に崩落補修と倒木の撤去工事が行われ、11月28日には宮内庁と堺市がそれぞれ管理区域の発掘調査を実施しました。その際、環濠部の測量が行われ、従来約186メートルとされていた全長が約203メートルであることが確認されました。また、江戸時代に環濠が農地用水として利用され、濠が拡張されていたことも判明しました。
2018年の史跡指定
2018年には御廟山古墳の内濠が「百舌鳥古墳群」の一部として国の史跡に指定され、保存と活用のための保護策が強化されています。これにより、古墳の歴史的価値がさらに高まり、多くの観光客や歴史愛好家が訪れるようになりました。
被葬者の推測
御廟山古墳の被葬者については明らかではありませんが、『宋書 倭国伝』に記された「倭隋」という将軍を被葬者とする説が存在します。倭隋は倭王珍と同時に将軍位を授けられた有力な臣下の一人とされ、平西将軍という位を授かっていたため、王族内でも特に有力な地位にあったと見られています。
陪塚の存在
御廟山古墳には、複数の陪塚があったとされていますが、現在では「万代山古墳」のみが現存しています。万代山古墳は直径25メートル、高さ4.3メートルの円形墳で、かつては帆立貝形古墳であった可能性もあるとされています。
墳丘の特徴と構造
御廟山古墳の墳丘は前方部を西に向けた前方後円墳であり、その規模は以下の通りです:
- 墳丘長:203メートル
- 後円部直径:113メートル
- 前方部幅:136メートル
墳丘には3段の階層があり、くびれ部には造り出しが施されています。また、表面には葺石や埴輪が配置されていることが確認されており、当時の葬送文化を垣間見ることができます。
観光情報とアクセス
御廟山古墳は現在も宮内庁によって管理されており、一般の立ち入りは制限されていますが、周囲の環濠や古墳群の風景を楽しむことができます。アクセスも良好で、JR阪和線「百舌鳥駅」から徒歩5分ほどの距離に位置しています。
百舌鳥古墳群全体が2019年に世界文化遺産に登録され、多くの観光客が訪れる一大観光地となっています。御廟山古墳を含む百舌鳥古墳群を散策しながら、古代の歴史や文化に触れてみるのはいかがでしょうか。
まとめ
御廟山古墳は、大阪府堺市に位置する前方後円墳で、百舌鳥古墳群の中でも重要な古墳の一つです。被葬者や墳丘の詳細については多くの謎が残されており、今後の研究に期待が寄せられています。宮内庁の管理のもと、一般公開は限られているものの、訪れる人々にとってはその歴史的価値を感じる貴重な場所です。大阪を訪れた際には、百舌鳥古墳群を散策しながら、古代日本の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。