神社の歴史
舊府神社の創建年月や当初の祭神は不明ですが、9世紀以前からの存在が確かです。『日本三代実録』には、貞観元年(859年)5月7日に「和泉国舊府神列於官社」と記され、同年8月13日には「無位舊府神授正五位下」として官社に列せられたことが記録されています。
江戸時代から明治時代の変遷
江戸時代には「牛頭天王社」とも称されていましたが、明治5年に村社に列せられ、大正4年6月23日には信太森葛葉稲荷神社に合祠されました。しかし翌年には元の社殿に戻されています。
神社の名称と由来
「舊府神社」の「舊府(旧府)」の名称には、以下の二つの説があります。
- 神功皇后の行在所である「小竹宮」に由来する説
- 和泉国府がこの地から現在の府中町に移管されたため、新国府に対する旧国府跡を意味する説
いずれにせよ、古代国家の要所として、舊府神社は「宮」や「府」として重要な役割を担ったと考えられています。
小竹宮との関わり
神功皇后が紀伊國で応神天皇と会い、小竹宮に移ったとの伝承があり、この「小竹宮」を現在の舊府神社の所在地付近に比定する説があります。信太(しのだ)の旧表記が「小竹田」であったことから、小竹宮の「小竹」と関連付けられたとも言われています。
祭神と信仰
素盞鳴命と牛頭天王
現在の祭神は素盞鳴命ですが、江戸時代には「牛頭天王」とされていました。これは疫病除けの神として全国で信仰された存在で、インドの祇園精舎の守護神とされることもあります。明治の神仏分離の際に、祭神名を「素盞鳴命」に改められたものです。
境内社「若宮社」と白狐化石
境内には、若宮社として「白狐化石」が祀られています。これは葛葉姫を祭神とし、猟師から逃れるために化けた白狐の伝説がある石です。もともとこの石は小栗街道沿いにありましたが、1947年に現在の場所に移されました。
アクセス情報
舊府神社へのアクセスは、JR阪和線の北信太駅から徒歩約6分(南に約500m)です。歴史を感じる社殿と美しい境内は、訪れる人々に静かな時を提供します。