歴史
創建の由来と宗派の変遷
来迎寺の創建時期については正確には分かっていませんが、寺伝によると、もともとは天台宗に属し、その後真言宗へ移り、最終的に曹洞宗の寺院となりました。1689年(元禄2年)には梅溪寺の末寺となったとされています。
南北朝時代の関わり
かつては熊取町南部の雨山城にあり、南北朝時代に南朝方の雨山城主・橋本正高が八大竜王を祀り、武運長久や繁栄安泰を祈願する堂として使用したと伝えられています。また、後醍醐天皇が紀州国粉河寺へ行幸の際、来迎寺を行宮として使用したという記録もあり、後年に現在地に移築されたとされています。
文化財
国の重要文化財
来迎寺の本堂は、1949年(昭和24年)5月30日に国の重要文化財に指定されました。本堂は以下の特徴を持つ建造物です。
- 建立年: 1329年(嘉暦4年)
- 建築様式: 一重、寄棟造
- 寸法: 桁行三間、梁間三間(約30平方メートル)
- 屋根: 行基葺(丸瓦の端部を細くし、一枚ずつずらして葺く方式)
修理棟札に嘉暦の記録があり、建築様式からもその時代のものと推定されています。天井四隅の梁には「海老虹梁」と呼ばれる装飾が施されており、煤が多いことから護摩堂として使用されていた可能性が高いとされています。
修繕の歴史
本堂は、応永年間(1394年 - 1428年)に一度修復され、1424年(応永31年)には鬼瓦が新調されました。その後、1689年(元禄2年)には屋根の修繕が試みられ、1690年(元禄3年)に成功しました。また、1778年(安永7年)と1782年(天明2年)にも修繕が行われ、1960年(昭和35年)には解体修理が実施されました。
修復の際、最も古い鬼瓦は応永31年銘のもので、現在は保管されています。現在使用中の鬼瓦には「享保戊戌三月吉日 佐野小川九右衛門尉」という銘が刻まれており、文化財としての価値が高いとされています。
交通アクセス
来迎寺へのアクセス方法は以下の通りです。
- JR西日本阪和線「熊取駅」から車で約10分
車で訪れる際には、周辺の交通事情を事前に確認し、時間に余裕を持って移動することをお勧めします。
訪れる際のポイント
来迎寺は、その歴史的背景や文化財としての価値だけでなく、静寂で落ち着いた雰囲気も魅力の一つです。特に本堂の建築様式や細部の装飾には目を見張るものがあります。訪問時にはぜひゆっくりと時間をかけて鑑賞してください。
また、周辺には熊取町ならではの観光スポットも多く点在しています。来迎寺を訪れた際には、町内を散策しながら地元の魅力を発見するのも楽しいでしょう。