大阪府 » 東大阪

照曜山 光徳寺

(こうとくじ)

光徳寺は、大阪府柏原市雁多尾畑にある真宗大谷派の寺院です。本堂は「雁林堂(かりんどう)」とも呼ばれ、この名称が「雁多尾畑(かりんどおばた)」という地名の由来ともいわれています。この寺院は長い歴史と深い信仰の場として知られ、多くの人々に親しまれています。

光徳寺の歴史

平安時代の創建

光徳寺の始まりは、平安時代の永延2年(988年)に遡ります。この年、第64代円融法皇(えんゆうほうおう)の命により、延暦寺の僧・法円法師が勅願所として「東廣山照曜峰寺」を建立しました。当時、この寺院は荘厳な伽藍を誇っていましたが、南都北嶺の戦いによって天永4年(1113年)に焼失し、「雁林堂」一宇のみが残されました。

鎌倉時代の再興

その後、安貞2年(1228年)、近江国園城寺(三井寺)の僧・俊円がこの地を訪れ、雁林堂に安置されていた阿弥陀如来を拝して寺院を再興しました。この際、第86代後堀河天皇の宣旨を受けて「照曜山光徳寺」の勅号を賜り、本堂を雁林堂としました。俊円はさらに専修念仏門に入り、親鸞聖人の弟子となり「松谷仏念房信乗」と称しました。このことから、光徳寺は一向専修の道場としても重要な役割を果たし、石山本願寺とも深い関わりを持つようになりました。

江戸時代以降

江戸時代初期、本願寺が東西に分立する際に光徳寺は「教如を十二代法主とする本願寺教団」(現・真宗大谷派)に属し、現在まで続いています。現在の本堂は明和8年(1771年)に再建されたものであり、山門は宝暦年間(1750年頃)、太鼓楼は安永9年(1780年)に建てられたものです。

雁多尾畑の地名の由来

「雁多尾畑(かりんどおばた)」という地名は、光徳寺の本堂である「雁林堂」に由来すると伝えられています。この地域の歴史的背景を知る上で、光徳寺は欠かせない存在です。

建築の特徴と魅力

光徳寺の本堂は約250年前に再建され、当時の建築技術と美学が反映されています。また、山門や太鼓楼も江戸時代に建てられたもので、歴史的価値が高く、訪れる人々に感動を与えます。荘厳でありながら静謐な空間は、参拝者に心の平安をもたらします。

アクセス情報

最寄り駅: JR大和路線「河内堅上駅」

駅から徒歩で約30分の距離にあります。山道を含むため、歩きやすい服装で訪れることをお勧めします。寺院周辺の自然豊かな景色も楽しみの一つです。

訪れる際のポイント

光徳寺は、その歴史的背景と荘厳な建築美を体感できる場所です。特に、秋には紅葉が境内を彩り、さらに美しい景観を楽しむことができます。また、寺院の静けさの中で過ごすひとときは、日々の喧騒を忘れる癒しの時間となるでしょう。

まとめ

光徳寺は、平安時代から続く長い歴史を持つ真宗大谷派の寺院であり、地域の文化と信仰を象徴する存在です。その魅力は歴史的な価値だけでなく、美しい建築や自然豊かな環境にもあります。ぜひ訪れて、その素晴らしさを肌で感じてみてください。

Information

名称
照曜山 光徳寺
(こうとくじ)

東大阪

大阪府