大阪府 » 東大阪

河内国分寺跡

(かわち こくぶんじあと)

河内国分寺跡は、大阪府柏原市国分東条町に位置する寺院跡です。奈良時代に聖武天皇の詔によって日本各地に建立された国分寺の一つで、河内国の国分僧寺跡に比定されています。寺跡の出土瓦当は大阪府指定有形文化財に指定されていますが、史跡指定はされていません。

概要

河内国分寺跡は、大阪府東部の大和川左岸にある台地上に位置しています。古代には河内国安宿郡資母郷に属し、周囲には以下のような関連遺跡が点在しています。

発掘調査では、推定金堂跡や塔跡などの遺構が確認されていますが、寺域全体や伽藍の詳細は未解明です。急傾斜地に位置するため、平坦な寺域が他の国分寺と比べて狭いという特異な特徴があります。

歴史的背景

創建

河内国分寺の創建時期は明確ではありませんが、天平13年(741年)の聖武天皇による国分寺建立の詔に従い、8世紀中葉頃に建立されたと考えられています。発掘調査では、瓦の様相が大和川対岸の竹原井頓宮推定地と類似しており、当地一帯が聖武天皇の宿所や関連施設として機能した可能性が指摘されています。

中世から近世

中世には河内国分寺に関する記述が見られるものの、早い段階で廃寺となりました。江戸時代には寺の所在が不明となりましたが、後に「東条」「西条」「北条」「南代」という地名を基に現在の場所が推定されました。

近代以降

1934年以降に発掘調査が行われ、塔跡が確認されました。1977年には出土瓦当が大阪府指定有形文化財に指定されています。その後も数回の発掘調査が行われ、伽藍の配置や寺院の詳細についての研究が進められています。

伽藍の特徴

塔跡

塔の基壇は凝灰岩切石で作られ、一辺約19メートル、高さ1.54メートルの大規模な七重塔とされています。基壇は復元整備されており、見学することができます。

金堂(推定)

塔跡の西側に位置する金堂は、本尊を祀る建物とされています。基壇は凝灰岩切石で高さ約1.3メートルですが、詳細な建物規模は不明です。

河内国分尼寺跡

国分尼寺跡は、河内国分寺の西方にある「尼寺」という地籍付近にあったと推定されています。ただし、伽藍建物の遺構は未確認で、詳細な位置は明らかになっていません。

出土瓦

寺域からは、奈良時代中頃の平城宮系瓦や白鳳時代から奈良時代前半の瓦が出土しています。その一部は大阪府指定有形文化財に指定されており、柏原市立歴史資料館で展示されています。

まとめ

河内国分寺跡は、奈良時代の国分寺制度や聖武天皇の政策を知るうえで重要な遺跡です。現在では塔跡が整備されており、歴史的な価値を感じながら見学することができます。また、周辺には他の関連遺跡も点在しているため、古代河内国の歴史を深く学ぶことができるエリアとなっています。

Information

名称
河内国分寺跡
(かわち こくぶんじあと)

東大阪

大阪府