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無漏山 能勢妙見山

(むろさん のせ みょうけんざん)

能勢妙見山は、大阪府豊能郡能勢町に位置する日蓮宗の寺院で、山号は「無漏山」とされています。主に妙見菩薩を本尊とし、北極星信仰の聖地として広く知られ、古くから信仰を集めてきました。

概要

能勢妙見山の正式名称は「無漏山眞如寺 境外仏堂 能勢妙見山」とされ、能勢町地黄にある真如寺の境外仏堂です。境外仏堂とは飛び地にある仏堂を指しますが、真如寺以上に参拝者が訪れることから、関西地方の日蓮宗寺院の中で重要な役割を担っています。

また、能勢妙見山は神仏習合時代の名残として境内入口に鳥居があり、通称「能勢妙見宮」とも呼ばれることがあります。

歴史

能勢妙見山の起源は奈良時代、行基によって建立された為楽山大空寺に遡ります。平安時代には源満仲が屋敷に祀っていた妙見菩薩を当地に移し、満仲の孫である源頼国が能勢に移住し、当地の領主となったことから妙見信仰が根付いたとされています。

戦国時代の変遷

1581年、能勢頼次は明智光秀の攻撃を受け、本拠地の丸山城から妙見山に移り住みましたが、光秀に降伏し、後に織田信長の死後、羽柴秀吉の攻撃を受け領地を失いました。しかし、関ヶ原の戦いで活躍したことから再び能勢の地を領地とし、江戸幕府の旗本として再興されました。

妙見信仰の発展

江戸時代になると、能勢氏の支援のもと多くの参詣者が訪れるようになり、妙見信仰が広がりました。1768年には女人禁制が解除され、1773年には本殿(開運殿)への内拝が許可されるなど、参拝者に対する門戸が開かれていきました。

境内の見どころ

能勢妙見山の境内には多くの建造物があり、訪れる人々に様々な歴史を感じさせます。

本殿(開運殿)

本殿は天明7年(1787年)に能勢頼直の寄進によって再建されました。妙見信仰の象徴であり、数多くの参拝者が訪れる中心的な建物です。

その他の建物

信徒会館「星嶺」

山頂近くには「星嶺」という信徒会館があり、1998年に建てられました。礼拝堂は床がガラス張りとなっており、仏教の礼拝堂としては珍しい構造です。特別行事以外は立ち入りが制限されています。

交通アクセス

能勢妙見山へは、大阪市から能勢街道を経由して訪れることが可能で、もともと能勢電鉄も参詣用に敷設されました。現在は公共交通機関による直接のアクセスはなく、徒歩または自家用車でのアクセスが基本となります。

車でのアクセス

本瀧寺から登る登山ルートが最も手軽であり、30分程度で能勢妙見山本堂に到達可能です。山頂には有料駐車場もあり、初詣や初日の出の時期には多くの参詣客で賑わいます。

過去のバス運行

以前は阪急バスや京都交通バスにより、阪急茨木市駅や京都駅前などから直通運行が行われていましたが、路線の廃止により現在では利用できません。

イベント・年中行事

能勢妙見山では、初詣や毎月15日の月例法要、星嶺祭など、年間を通して多くの行事が行われ、参拝者が訪れる名所となっています。

初詣と初日の出

毎年、大晦日から三が日にかけては多くの参詣客が訪れ、混雑が予想されます。交通規制が行われるため、注意が必要です。

能勢妙見山の信仰と文化的な意義

能勢妙見山は、北極星信仰の拠点として、また「能勢の妙見さん」として地域の人々に親しまれてきました。江戸時代には、火伏札「能勢の黒札」が江戸で流行し、坂本龍馬や勝海舟も訪れるなど、歴史的にも深い意義を持っています。能勢妙見山の信仰文化は、近畿地方だけでなく日本全国に広がり、今も多くの人々の信仰の対象となっています。

Information

名称
無漏山 能勢妙見山
(むろさん のせ みょうけんざん)

箕面・豊中・高槻

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