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神峯山寺

(かぶさんじ)

神峯山寺は、大阪府高槻市に位置する天台宗の寺院であり、日本で最初に毘沙門天が安置された霊場として知られています。山号は根本山(こんぽんざん)で、本尊には毘沙門天、兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)、双身毘沙門天(そうじんびしゃもんてん)の3体が祀られています。本堂には新西国三十三箇所第14番札所本尊の聖観音も安置され、紅葉の名所としても名高いです。また、境内は大阪府立北摂自然公園に属し、「大阪みどりの百選」に選ばれています。

境内の概要

神峯山寺は高槻市の中心部から北へ約6kmのところにある「原地区」にあり、周囲には田園風景が広がっています。地理的には京都盆地の西側に位置し、西山連山の最西端に当たります。敷地面積は約100haで、その多くが山林で覆われ、都市近郊に残る貴重な原生林が広がっています。参道には「勧請掛け」が設けられ、聖域と俗世の境界を示しています。

境内には、開山の祖とされる役小角(役行者)や中興の祖である開成皇子の像が安置されており、古来より皇室と密接な関係を持っていたことが十六八重菊紋などに見られます。さらに、かつては「七高山」と称される修験霊場の一部としても栄えており、修験者の修行の道や滝、葛城山(金剛山)遥拝所を示す石標などが各所に存在します。参道の入口には石造の鳥居や仁王門前の狛犬があり、神仏習合の風土が今も残っています。

神峯山寺の歴史

開山伝承

神峯山寺の起源は「神峯山寺秘密縁起」に記されており、文武天皇元年(697年)に役小角が葛城山で修行していた際、北方の山から黄金の光が差し、この地に至ったとされています。その際に天童(金比羅飯綱大権現)と出会い、天童の霊木で4体の毘沙門天が刻まれました。そのうちの1体を神峯山寺に祀り、伽藍を建立したことが始まりとされています。

残る3体の毘沙門天は天高く飛散し、それぞれ北山本山寺、京都の鞍馬寺、奈良の朝護孫子寺に安置されたと伝えられています。これらの寺院も毘沙門天を本尊としており、伝承により霊場のつながりが見られますが、縁起に基づくものであり、実際の関連は不明です。

中興

宝亀5年(774年)に光仁天皇の子息である開成皇子が入山し、本堂を建立して住職となりました。これを機に神峯山寺は天台宗寺院となり、光仁天皇の勅願所として皇室との関係を深め、その関係は幕末まで続きました。境内には開成皇子の埋髪塔や光仁天皇の御分骨塔があり、十六八重菊の使用も認められています。

平安時代後期と鎌倉時代

平安時代後期には、天台宗僧侶の良忍が開宗した融通念仏宗の源流が神峯山寺に伝わり、寺の縁起にその説話が記録されています。また、鎌倉時代以降、神峯山寺の毘沙門天は武将からの信仰を集め、楠木正成や足利義満、淀殿らの寄進を受けました。戦いの神としての毘沙門天の信仰が広まったことによるものです。

江戸時代

元禄年間(1688年 - 1704年)頃には、大阪の商人たちから厚い信仰を受け、毘沙門天が七福神の一つであることから商売繁盛を祈願する参拝者が増えました。多くの巡拝者が淀川を上って参拝し、江戸時代には隆盛期を迎えましたが、火災による本堂焼失後は規模が縮小され、現在に至っています。

本尊と毘沙門天

神峯山寺の本尊は3体の毘沙門天から成り、それぞれ第一、第二、第三の本尊と呼ばれています。いずれも秘仏ですが、特に秋の大祭では第二の本尊・兜跋毘沙門天が開帳され、多くの参拝者が訪れます。

第一の本尊・毘沙門天

第一の本尊である毘沙門天は、本堂の中央に吉祥天と善膩師童子とともに安置されています。この毘沙門天は国家安泰の守護神として、また家庭の平安を願う人々から厚く信仰されています。

第二の本尊・兜跋毘沙門天

第二の本尊である兜跋毘沙門天は、福徳や商売繁盛の神としても崇められ、楠木正成や松永久秀、さらに大阪の商人たちからの信仰を集めてきました。秋の大祭にのみ開帳され、参拝者はその御利益を求めて訪れます。

第三の本尊・双身毘沙門天

第三の本尊である双身毘沙門天は歴代住職の持仏として秘仏とされ、天台密教の秘法が伝えられています。

境内の見どころ

神峯山寺の境内には、紅葉の美しい参道があり、秋になると参拝客で賑わいます。仁王門から本堂に至る道には石造の鳥居や狛犬が立ち、古くからの神仏習合の風情を感じることができます。

本堂

神峯山寺の本堂は安永6年(1777年)に再建され、上部には十六八重菊の紋があしらわれています。堂内には3種類の毘沙門天が安置されており、さらに新西国三十三箇所第14番札所の本尊である聖観音も祀られています。扁額に記された「日本最初毘沙門天」の文字は、伏見宮邦家親王による筆です。仁王門から続くなだらかな参道を約100メートル進んだところに本堂が見えてきます。

観音堂

観音堂は本堂と渡り廊下で繋がっており、穏やかな参拝ができるように設計されています。

光仁天皇墓碑(十三重石塔)

本堂の西側奥には、光仁天皇の分骨塔である十三重石塔が観音堂の脇にあります。この歴史的な碑は、神峯山寺の長い歴史を感じさせる一つのシンボルです。

鐘楼堂

鐘楼堂もまた、参拝者にとって重要な場所です。ここでの鐘の音は、訪れる人々の心を静める役割を果たします。

開山堂

現在の神峯山寺で最も高い場所に位置する開山堂は、役小角が伽藍を建立したと伝えられる由緒ある場所です。本堂の脇から急勾配の石段を上り詰めると、堂内には役小角とその遣いである鬼・藍婆(らんば)と毘藍婆(びらんば)が安置されています。毎年初寅会の折に開帳され、参拝が可能となります。

釈迦堂

釈迦堂はかつて「東堂」と呼ばれていました。この堂もまた歴史的に価値のある建物で、多くの参拝者が訪れます。

開成皇子断髪塔(五重石塔)

開成皇子の埋髪塔として五重石塔が存在し、中興の祖として重要視されています。

豊川稲荷・白龍王社

境内には豊川稲荷や白龍王社も祀られており、多様な信仰が集まる場所となっています。

九頭龍滝

九頭龍滝はかつて修験者が滝行に使用していた場所です。神峯山寺開山の伝説によると、「北方の光」として九頭龍滝の飛沫が伝えられています。

九頭龍神堂・常不軽堂

九頭龍神堂や常不軽堂も見逃せないスポットです。いずれも歴史と信仰が息づく場所です。

塔頭(たっちゅう)

神峯山寺には複数の塔頭があります。龍光院、化城院、寂定院、嶺峰院、真珠院などがそれにあたり、それぞれが特色ある建物です。

嶺峰院

嶺峰院は境内中腹に位置し、神峯山寺の阿弥陀信仰の起源となった阿弥陀如来坐像(重要文化財)の身代わり仏が安置されています。両脇には有栖川宮韶仁親王と宣子女王の位牌が祀られています。

仁王門

境内の入口には仁王門が構えられており、堂々たる門構えが訪れる人々を迎えます。

大仏塔「慈晃」

大仏塔「慈晃」は納骨堂としての役割を果たし、先祖や故人への追悼の場となっています。

奥之院(北山本山寺)

現在、神峯山寺に奥之院はなく、かつての奥之院「霊雲院」に相当する場所として北山本山寺があります。本尊として重要文化財である毘沙門天が安置されています。

文化財

重要文化財

神峯山寺には多くの文化財があり、以下はその一部です:

国指定天然記念物

境内にはモリアオガエルが生息しており、国指定天然記念物に指定されています。

高槻市指定有形文化財

2013年(平成25年)7月25日に高槻市指定有形文化財として「神峯山寺文書」が指定されました。

その他の文化財

以下の品も神峯山寺の文化財として保存されています:

信仰

毘沙門信仰

神峯山寺の毘沙門信仰は、時代の変遷によってその対象や祈願の内容が変わっていくという興味深い特徴があります。開山当初は修験霊場の聖地に鎮座する神として信仰されましたが、平安時代には皇室によって国家安泰の祈願所に指定されました。その後、鎌倉時代末期からは武将たちによって福徳先勝の祈願が行われ、江戸時代には大阪商人たちが商売繁盛を祈願する場所としても参拝されるようになりました。近年では、福徳先勝の願いが発展し、合格祈願の場としても受験生が訪れます。

山岳信仰

役小角(えんのおづぬ)がこの地に開山したことから、神峯山寺周辺は山岳信仰の色が濃い場所となっています。「神峯山(かぶのやま)」は龍のご神体として崇拝されており、境内の「九頭龍滝」はその龍の口とされています。このことから、神峯山寺は神仏習合の寺院であり、天台宗の寺院とは異なる信仰体系を持っていることがわかります。現在も修験道を志す修験者がここで修行を行っており、その姿を見ることができます。

阿弥陀信仰

平安時代末期に融通念仏宗が神峯山寺で広まったことにより、周辺地域には阿弥陀信仰が根付いています。「病気平癒」のご利益があるとされる阿弥陀如来(重要文化財)は、現在も本堂に安置されています。また、融通念仏宗との交流も深いものがあります。

自然

境内の風景

神峯山寺の境内は大阪府立北摂自然公園に属し、「大阪みどりの百選」に選ばれています。境内では野鳥や草花が多く見られるため、参拝者だけでなく、ハイカーやバードウォッチャーも多く訪れます。

野鳥

境内では、ホトトギス、ツツドリ、サシバ、コゲラ、ヤマガラ、ウグイス、ヤブサメ、オオルリ、イカルなどの野鳥が見られます。

草木

90種類以上の樹木と180種類、5万株の植物が生息しています。代表的な植物としては、ムクノキ、ケヤキ、ヒイラギ、ヤマツバキ、テイカカズラ、スイセン、キンセイラン、リンドウ、キクなどが見られます。

紅葉

神峯山寺の紅葉は、例年11月下旬から12月上旬にかけて見頃を迎え、約400本のモミジが赤く染まります。また、神峯山全体が落葉樹に覆われており、11月下旬には全山が紅葉し、美しい風景が広がります。

東海自然歩道

山門から仁王門へ向かう参道の脇には東海自然歩道があり、ハイカーたちの中継地点としても利用されています。

周辺寺院との関係

神峯山寺の北方にある北山本山寺は、かつて神峯山寺の奥之院「霊雲院」として位置づけられていたことが「神峯山寺秘密縁起」に記されています。さらに、南方にある南山安岡寺も神峯山寺と関連のある寺院とされており、また茨木市にある神峯山大門寺や賀峰山忍頂寺も「かぶさん」の山号を持つことから、現在の神峯山寺だけでなく、これら一帯が「七高山の神峯山」としてまとめられていた可能性が考えられています。

御詠歌

新西国三十三箇所第14番札所に指定されている神峯山寺には、美しい御詠歌が伝わっています。

御詠歌の一例

「かぶの山 すずしき音の かよひ来て 心のそこに ひびく滝つせ」

その他にも、近藤大道鶴僊大阿闍梨による「毘沙門天への祈り」の御詠歌や、神峯山寺の風景を詠んだ短歌も数多く残されています。

札所

神峯山寺は「新西国三十三箇所巡礼」の第14番札所、また「役行者霊蹟札所」や「神仏霊場巡拝の道」の第64番札所にも位置づけられ、多くの巡礼者が訪れます。

交通アクセス

神峯山寺へのアクセスには、高槻市営バスを利用するのが便利です。JR高槻駅北口より市バス「原大橋」行きに乗車し、「神峯山口」バス停で下車後、東へ約1.3km徒歩で向かうことができます。

まとめ

神峯山寺は日本最古の毘沙門天信仰の霊場として、多くの歴史と伝承に包まれ、今もなお深い信仰を集める場所です。その歴史的価値と豊かな文化財を有する寺院であり、四季折々の自然と共に多くの参拝者を迎えます。

特に秋の紅葉の美しさは格別であり、訪れる人々に心の安らぎを提供します。歴史や文化、そして自然が織りなす静かな佇まいの神峯山寺で、聖地としての魅力をぜひ感じてください。

Information

名称
神峯山寺
(かぶさんじ)

箕面・豊中・高槻

大阪府