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伊居太神社(池田市)

(いけだ じんじゃ)

伊居太神社は、大阪府池田市綾羽に位置する歴史ある神社です。式内社であり、旧社格は村社に属し、また「穴織宮伊居太神社」とも呼ばれています。この神社は豊かな歴史と文化を持ち、地域の信仰の中心地としての役割を果たしてきました。

伊居太神社の概要

伊居太神社は、その歴史や建築様式においても独自の特徴を持つ神社であり、祭神である穴織大明神、応神天皇、仁徳天皇が祀られています。地元では親しみを込めて「いこた神社」とも呼ばれ、地域住民からの厚い信仰を集めています。

伊居太神社の歴史

創建の由来

伊居太神社の歴史は、応神天皇の時代にさかのぼります。この頃、日本は機織や縫製の技術を高めるため、呉(現在の中国南朝)へ使者を派遣しました。阿知使主と都加使主父子が呉王から帰国する際、彼らに従ってきた4人の縫工女のうち、妹である穴織媛が池田の地に迎えられました。そして、彼女が仁徳天皇76年に亡くなり、翌年に仁徳天皇によってこの地で祀られることとなり、伊居太神社が創建されました。

延喜式神名帳への掲載

『延喜式神名帳』にも記載があり、摂津国河辺郡に位置する神社の一つとして知られています。ただし、もう一つの候補地として、兵庫県尼崎市にも伊居太神社(いこたじんじゃ)が存在しており、論社として挙げられています。

中世から近代への変遷

延暦4年(785年)には桓武天皇の勅命により社殿が新しく建てられ、また応神天皇や仁徳天皇も共に祀られるようになりました。しかし、天正7年(1579年)には、織田信長と荒木村重による有岡城の戦いに巻き込まれ、社殿が焼失する不運に見舞われます。その後、慶長9年(1604年)に豊臣秀頼によって本殿が再建され、今に至ります。

祭神

伊居太神社の主祭神として祀られているのは以下の神々です。

境内の見どころ

伊居太神社の境内には、神社の長い歴史を象徴する建物や文化財が点在しています。

本殿

本殿は慶長9年(1604年)に豊臣秀頼により再建されたもので、全国でも珍しい千鳥唐破風寄棟造りの三社造となっており、その独特な建築様式が特徴です。

頼光松

この松の木は、源頼光によって植えられたと伝えられており、「頼光松」として知られています。

姫室塚

姫室塚は、伝説的な縫工女である穴織媛の塚とされています。彼女がこの地で祀られたことに由来し、池田市の人々にとって特別な存在です。

猪名津彦社

境内末社の猪名津彦社は、阿知使主と都加使主を祀っており、伊居太神社の由来に深く関わる神社です。

摂末社

伊居太神社の境内には、さまざまな摂末社も祀られています。これらの摂末社も地元で信仰されており、以下の社が含まれます。

主な祭事

伊居太神社では、一年を通じてさまざまな祭事が行われています。以下は主要な祭事の一部です。

歳旦祭(元旦)

新年を祝い、神社で無病息災や家内安全を祈願する祭事です。多くの参拝者が訪れ、新年の始まりを祝います。

除夜祭(大晦日)

年の終わりに行われる祭事で、一年の無事を感謝し、新年を迎える準備を整えます。

池田市指定有形文化財

伊居太神社は、池田市指定の有形文化財としても保護されています。

元禄十年摂州豊島郡池田村絵図

伊居太神社が保有する歴史的な資料であり、2003年(平成15年)3月24日に指定を受けています。

その他の文化財

三角縁神獣鏡

伊居太神社に伝わる宝物の一つで、中国製の鏡とされています。直径20.5センチメートルの大きさを誇り、享和年間(1801年 - 1803年)に「横山」から掘り出されたとされていますが、具体的な出土地は不明です。

伊居太神社と地名の由来

伊居太神社に祀られる「穴織媛」は、池田市内の町名である「綾羽」の由来ともなっており、この地域と縁深い存在です。また、彼女の姉である呉服媛を祀る「呉服神社」は「下の宮」とされ、伊居太神社は「上の宮」として両社の関係が深く結ばれています。

交通アクセス

伊居太神社へのアクセス方法は以下の通りです。

まとめ

伊居太神社は、古代から伝わる神話や歴史を背景に、地域の人々にとって大切な信仰の場として存在しています。その美しい社殿や歴史ある文化財が、訪れる人々に深い感銘を与えます。ぜひ池田市を訪れた際には、伊居太神社に足を運び、歴史と信仰の深さを感じてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
伊居太神社(池田市)
(いけだ じんじゃ)

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