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萱野三平旧邸

(かやの さんぺい きゅうてい)

萱野三平旧邸は、大阪府箕面市に位置し、江戸時代に赤穂浪士の一人として名を刻んだ萱野重実(通称 三平)の旧邸宅です。敷地内には、当時の風情を感じさせる長屋門と土塀の一部が現存しており、また萱野三平記念館「涓泉亭」も併設されています。

歴史的背景

この旧邸は、萱野重実が生まれ育った地とされ、江戸時代の面影を今に伝えています。彼は、主君・浅野長矩が吉良義央に対して殿中での刃傷事件(赤穂事件)を起こしたことにより、事件の第一報を赤穂に伝える役目を果たしました。この際、萱野は母の葬儀に立ち会うことなく赤穂へと向かい、その義を重んじる姿勢が後世に語り継がれています。

長屋門と自刃の間

萱野三平の旧邸自体は明治時代に取り壊されましたが、長屋門と土塀の一部は保存運動により守られ、昭和15年(1940年)に大阪府の史跡として指定されました。その後、昭和48年(1973年)には大阪府指定史跡に指定替えされました。現在、この長屋門には「自刃の間」と萱野三平の像が公開され、彼の人生と義士としての歩みを偲ぶことができます。

萱野三平の辞世の句

長屋門西部屋の横には、萱野三平の辞世の句碑が残されています。彼は討ち入りの11か月前、元禄15年(1702年)1月14日にこの長屋門の一室で自刃し、以下の辞世の句を残しました。

晴れゆくや日頃心の花曇り 涓泉

涓泉亭(けんせんてい)について

箕面市は萱野三平旧邸の寄贈を受け、平成4年(1992年)に萱野三平記念館「涓泉亭」を建設しました。「涓泉亭」という名前は萱野三平の俳号「涓泉」に由来し、この記念館では彼が歩んだ歴史や、西国街道に関する資料が常設展示されています。また、和室が設けられており、句会や茶会などの文化交流の場としても利用されています。

西国街道との関係

涓泉亭に展示されている資料の中には、西国街道に関するものも含まれています。西国街道は、江戸時代における交通の要所であり、萱野三平の時代の風景や人々の暮らしぶりを知る手がかりとなっています。これにより、萱野三平だけでなく、当時の歴史や風俗を訪問者に伝える役割を果たしています。

萱野三平と赤穂事件

萱野重実(三平)は、この旧邸で生まれ育ちました。元禄14年(1701年)3月、赤穂事件が起こり、主君・浅野長矩が切腹を命じられました。萱野はその第一報を赤穂に届ける使命を果たしましたが、この際、実家の前を通り母の葬儀に遭遇するも、涙ながらに掌を合わせ、立ち止まることなく赤穂へと向かいました。彼の忠誠心と義を重んじる心が、赤穂事件の一部として今も多くの人々に感銘を与えています。

忠義と自害

討ち入り11か月前の元禄15年1月14日、萱野重実は自宅の長屋門の一室で自害しました。この行動は彼が果たそうとした忠義の象徴とされ、現在もその忠義を偲ぶ場所として旧邸が保全されています。

アクセス方法

萱野三平旧邸へのアクセスは、阪急バス「萱野三平前」バス停からすぐです。また、阪急宝塚線石橋阪大前駅からJR茨木駅行きバスで15分、もしくは千里中央駅から阪急箕面駅行きで13分、箕面駅から千里中央行きで11分の距離です。

所在地

住所: 〒562-0014 大阪府箕面市萱野3-10-4

緯度・経度: 北緯34度49分39.77秒 東経135度29分2.92秒

見どころと歴史的価値

赤穂藩士として主君に忠義を尽くし、江戸時代の日本史に名を刻んだ萱野三平。彼が俳諧の世界に残した足跡もまた、歴史の一部として語り継がれています。萱野三平の俳号「涓泉」に由来する記念館「涓泉亭」では、彼の人生と共に、西国街道にまつわる歴史も学ぶことができます。

長屋門とその保存

元禄の面影を今に伝えるこの長屋門は、大阪府の指定史跡として貴重な文化遺産とされ、訪れる人々に江戸時代の雰囲気を伝えています。邸内では萱野三平の像や、彼の辞世の句碑が展示されており、当時の情景を感じさせます。

関連イベント

「涓泉亭」では、句会や茶会などのイベントが催され、訪問者が萱野三平の俳句を通して、彼の思いや歴史に触れる機会が提供されています。これらのイベントは、地域の文化交流の場としても機能しており、多くの人々に親しまれています。

Information

名称
萱野三平旧邸
(かやの さんぺい きゅうてい)

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