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本山寺

(ほんざんじ)

本山寺は、大阪府高槻市に位置する天台宗の寺院で、山号は北山とされています。本尊として毘沙門天を祀り、京都府との境に近い高槻市の北部山間にあります。この寺は、鞍馬寺や朝護孫子寺とともに「日本三毘沙門天」の一つとされています。

概要

本山寺は高槻市の静かな山の中にあり、自然と歴史が調和した美しい環境にあります。そのため、多くの参拝者や観光客が訪れ、静かに過ごしながら歴史的建造物や文化財を楽しむことができます。

歴史

創建と伝説

寺伝によれば、持統天皇10年(696年)に修験道の開祖とされる役小角が葛城山で修行中、北西に紫色の雲がたなびくのを見て霊験を感じ、この地にやってきて自ら毘沙門天像を彫刻し、修験の道場として開山したとされています。後に、宝亀年間(770年 - 781年)には光仁天皇の子である開成皇子が諸堂を建立し、本格的な仏教寺院として整備されました。

神峯山寺との関係

本山寺の院号は霊雲院と称され、南にある神峯山寺の奥の院とも言われますが、本山寺独自の縁起によれば、神峯山寺とは別の寺院とされています。しかし、北摂三山寺の一つとして、神峯山寺、安岡寺とともに天台宗に属しています。

戦国時代と有力武将の信仰

戦国時代には松永久秀がこの寺で成功を祈願し、望みが叶ったことから、自らの所領である高槻市五百住の良田を寺に寄進しました。また、芥川山城を本拠とした三好長慶や、キリシタン大名としても有名な高山友照・右近親子、さらに甲斐の武田信玄による侵攻で追放され三好家に身を寄せた小笠原長時も寺領の安堵状を発行しています。

焼失と再建

天正10年(1582年)、山崎の戦いで高山右近の兵火により焼失しましたが、慶長8年(1603年)には豊臣秀頼が鐘楼や中の門を再建しました。さらに江戸時代には高槻藩主である永井氏や皇室からも崇敬を受け、寺院の維持と修繕が続けられました。

桂昌院の支援

宝永年間(1704年 - 1711年)には、5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院が建物の改修を行い、境内の整備が進められました。

境内と主要な建造物

本山寺の境内には歴史的な建造物や文化財が数多く存在します。

本堂

本堂は本山寺の中心的な建物で、静謐な雰囲気が漂い、訪れる人々に安らぎを与えます。

宝篋印塔

宝篋印塔は大阪府指定の有形文化財で、1978年(昭和53年)に指定されました。この塔は境内で重要な役割を果たし、訪れる人々に歴史の深さを感じさせます。

その他の建造物

境内の文化財

重要文化財

本山寺には以下の重要文化財があり、その美術的価値が評価されています。

大阪府指定有形文化財

1978年に府の有形文化財に指定された宝篋印塔も境内にあり、多くの参拝者が訪れています。

高槻市指定文化財

高槻市からも文化財に指定された品々があり、その一部は高槻市立しろあと歴史館に寄託されています。

交通アクセス

本山寺へのアクセスは以下の通りです。

近隣の観光スポット

本山寺を訪れた際には、近くにある神峯山寺や忍頂寺なども併せて訪れると、より充実した観光が楽しめます。

まとめ

本山寺は歴史と自然に包まれた大阪の名刹であり、多くの文化財を有する貴重な寺院です。訪れる人々に深い感動と安らぎを提供し、歴史の趣に触れられる素晴らしい観光地です。

Information

名称
本山寺
(ほんざんじ)

箕面・豊中・高槻

大阪府