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樫船神社

(かしふね じんじゃ)

樫船神社は、大阪府高槻市樫田地区に位置する歴史ある神社です。この神社は、樫田地区の中心部からやや離れた場所、大字田能小字コブケ8に鎮座しており、その地名にも影響を与えています。地域の人々から大切にされてきたこの神社は、神話や歴史に基づいた独自の背景を持ち、その成り立ちに深い意味が込められています。

概要

樫船神社は、高槻市の最北端、標高約360mに位置し、北摂山地の山々に囲まれた静かな樫田盆地の奥深くにあります。大阪府と京都府の府境に接する明神ヶ岳の麓にあり、田能地区の鎮守神として地域を守っています。神社の歴史は、4世紀まで大きな湖であったとされる亀岡盆地の開削工事に関連しており、大国主命と、その工事に用いられた船を建造した樫船明神(大山喰命)が祀られています。

貞応元年(西暦1222年)に創建されたこの神社は、樫船が建造されたと伝わる場所に建立されました。神社の近くには神宮寺があり、この寺は樫船神社の創建と同時期に設立されたとされ、両者には深い関係があるとされています。

また、樫船神社には神職が常駐していないため、何かしらの用事がある際には、京都府亀岡市の鍬山神社に連絡を取る必要があります。鍬山神社では、かつて亀岡盆地を開拓するために保津川開削に携わった神々が祀られており、樫船神社内にも同じ神々が勧請されています。

歴史

樫船神社の歴史は、丹波国桑田郡田能庄の住民と僧侶定勢によって、貞応元年に神社の建立が企画されたことに始まります。この年の9月には社殿が完成し、翌年には五体の神像と仏像が造られました。これらのうち、大明神男神像と女体御前神像、黒迦羅御前の阿弥陀如来像の三体が樫船神社に納められ、さらに神宮寺には観音菩薩像と大日如来像が安置されました。

黒迦羅御前の阿弥陀如来像は、田能庄の住民が費用を折半して造ったものであり、当時の住民の強い結束を示す貴重な史料とされています。また、神宮寺に安置されている大日如来像は現在、高槻市指定の有形文化財として登録されています。

地名の由来

1889年に田能村は中畑村、出灰村、杉生村、二料村と合併して樫田村となりました。この地名は、樫船神社の「樫」と田能村の「田」の文字を組み合わせて付けられたものです。その後、1958年に樫田村は大阪府高槻市に編入されましたが、地域の人々は樫船神社と神宮寺の祭礼を絶やすことなく守り続け、今日までその形を残しています。

交通とアクセス

樫船神社へのアクセスは、車で訪れるのが便利です。周囲には公共交通機関の駅がないため、車やタクシーでの移動が推奨されます。地域の人々に愛され、今もなお守り継がれているこの神社を訪れることで、歴史ある地元の信仰や伝統を感じることができるでしょう。

おわりに

樫船神社は、高槻市の歴史と文化を深く理解するための貴重な場所です。神話や歴史に彩られたこの神社は、地域の守り神としての役割を果たし続けており、訪れる人々に日本の神道と信仰の深さを伝えています。ぜひ、訪れる際には、その歴史的な背景や周囲の自然の美しさも楽しんでみてください。

Information

名称
樫船神社
(かしふね じんじゃ)

箕面・豊中・高槻

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