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泉殿宮

(いづどのぐう)

泉殿宮は、大阪府吹田市に位置する神社で、歴史ある神々を祀り、地元の人々に親しまれています。その歴史や由緒、境内にある泉殿霊泉、また地域の文化財としての重要性など、多くの見どころがあります。

概要

泉殿宮は、大阪府吹田市に所在し、地域の守護神として知られています。周辺の風景と調和した境内には、歴史的な建造物や神聖な場所が多く存在し、参拝者に静寂と安らぎを提供しています。

歴史と由緒

神社の起源と祀られている神々

泉殿宮は古来より宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主祭神として祀っていました。貞観11年(869年)、この地が旱魃に苦しんでいた際、平安京への道中で当地に滞在していた建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)を相殿に祀り、降雨を祈願しました。その結果、たちまち雨が降り、旱害が収束したと伝えられています。

清水の湧出とその伝承

また、この降雨祈願の際、境内から清水が湧き出したと言われています。この清水は「泉殿霊泉」として後世に伝わり、特に明治22年(1889年)にミュンヘンの専門家によって「ビール醸造に最適」と評価されました。この評判を受けて大阪麦酒(現在のアサヒビール)が付近に進出しました。湧水は昭和30年代には枯渇しましたが、「泉殿霊泉」としてその名残が境内に残されています。

宮司の歴史 - 宮脇家の役割

泉殿宮の宮司は、古くから藤原南家末流の宮脇家が代々務めてきました。しかし、天保8年(1837年)に発生した「大塩平八郎の乱」の際、当時の宮司であった宮脇志摩が大塩平八郎の叔父であったため、乱の首謀者の一人と疑われることとなりました。志摩は自害し、一族は遠島に処され、家門は断絶の危機に直面しました。しかし、約30年後の明治維新において名誉が回復され、再び宮脇家が宮司を務めることとなりました。

泉殿霊泉

「泉殿霊泉」は、かつて境内に湧き出ていた清水の名残として存在しています。この霊泉は神聖な水として地域住民や参拝者にとって特別な意味を持ち、清水が涸れた後も、その歴史的な価値から泉殿宮のシンボルとして大切にされています。

文化財

吹田市指定無形民俗文化財 - 泉殿宮神楽獅子

泉殿宮では、吹田市指定無形民俗文化財として「泉殿宮神楽獅子」が継承されています。この神楽獅子は、泉の湧出を祝い、神聖な儀式として奉納されるもので、地域の伝統文化として大切に守られています。

泉殿宮の主な祭事

泉殿宮では、年間を通してさまざまな祭事が行われ、地元の人々だけでなく多くの参拝者が訪れます。以下に代表的な祭事を紹介します。

歳旦祭(1月1日)

新年を祝う祭りで、初詣に多くの参拝者が訪れます。

十日戎(1月9日 - 11日)

商売繁盛を祈願する「十日戎」が行われ、地元商人や参拝者で賑わいます。

祈念祭(稲荷祭、4月3日)

農作物の豊作を祈る祭りで、宇迦之御魂大神に感謝と祈りを捧げます。

例祭(春祭、5月3日)

春の訪れを祝う祭りで、さまざまな奉納行事が行われます。

夏越祓(6月30日)

半年間の罪穢れを祓うための行事で、多くの参拝者が穢れを祓い、新たな気持ちで夏を迎えます。

お水祭(夏祭、8月3日)

泉殿霊泉にちなんだ夏祭りで、水に感謝し、豊かな恵みを祈ります。

新嘗祭(秋祭、10月3日)

秋の収穫を感謝する祭りで、五穀豊穣を神に捧げる重要な行事です。

大祓(12月31日)

一年の罪や穢れを祓い、新しい年を清らかに迎えるための神事です。

神楽獅子

泉殿宮の神楽獅子は、泉の湧出を祝い、感謝の意を込めた舞が奉納されます。

四ヶ竹踊り

泉殿宮の特徴的な舞踊の一つで、伝統的な四ヶ竹を使用した美しい踊りが披露されます。

交通アクセス

最寄駅

泉殿宮への最寄駅は、阪急千里線の「吹田駅」で、東へ徒歩2分の距離にあります。アクセスが非常に良く、多くの参拝者が訪れやすい立地です。

道路アクセス

泉殿宮は、国道479号(大阪内環状線)と大阪府道14号大阪高槻京都線の交差点付近に位置しており、車でのアクセスも便利です。

兼務社

泉殿宮は、以下の神社と兼務社関係にあります。これらの神社もそれぞれ特色があり、地域の歴史と伝統を今に伝えています。

以上が泉殿宮の概要です。大阪府吹田市にお越しの際は、ぜひ泉殿宮を訪れ、その歴史と文化に触れてみてください。

Information

名称
泉殿宮
(いづどのぐう)

箕面・豊中・高槻

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