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東奈良遺跡

(ひがしなら いせき)

東奈良遺跡は、大阪府茨木市南部に位置する複合遺跡であり、弥生時代の大規模な環濠集落や古墳時代、中世の遺構が含まれています。南茨木駅から東に広がるこのエリアには、出土した鎔笵関係遺物があり、これらは国の重要文化財として指定されています。

東奈良遺跡は1973年(昭和48年)、大阪万博に合わせて新設された南茨木駅周辺での大規模な団地建設の際に発見されました。発掘された出土品は南茨木駅の東300メートルの場所にある茨木市立文化財資料館に所蔵され、展示されています。

遺跡の概要

銅鐸鋳型出土記念碑

東奈良遺跡では、二重の環濠に囲まれた集落内に高床式の倉庫をはじめとする大型の建物が配置され、多くの住居も確認されています。さらに、集落の外側には広大な墓域が広がり、発見された工房跡からは数多くの鋳型が発掘されました。特に銅鐸の鋳型は35点も見つかっており、他にも銅戈や勾玉の鋳型も出土しています。

この遺跡で鋳造された銅鐸は、近畿一円や四国にまで広がっていることから、当時の日本における銅製品の重要な生産拠点であったことがうかがえます。この集落は、奈良県の唐古・鍵遺跡と並ぶ日本最大級の銅鐸や銅製品の工房遺跡のひとつであり、弥生時代の日本の政治的な拠点のひとつと考えられています。

小さな銅鐸の発見

また、東奈良遺跡からは高さ14.2センチメートルの小さな銅鐸も発見されており、この小さな銅鐸が銅鐸の起源を解明する鍵となる可能性もあると考えられています。

周辺の地名「沢良宜」とその歴史的意義

東奈良遺跡の周辺地域は「沢良宜(さわらぎ)」と呼ばれ、古くから銅製品との関係が深かったとされています。近くには「佐和良義神社」があり、そこでは迦具土神(カグツチノカミ)が祀られています。カグは銅を意味する古語とされ、沢良宜も「サワラ(銅器)」と「ギ(邑)」を意味するとされており、この地が銅製品の加工と関連があったことがうかがえます。

最新の発掘調査と新たな発見

2013年(平成25年)に実施された発掘調査では、弥生・古墳時代の溝のほか、中世の水田跡も見つかり、その水田跡には牛の足跡も確認されています。この発見により、東奈良遺跡が中世においても農業活動が行われていたことが明らかになりました。

文化財としての重要性

国指定の重要文化財

東奈良遺跡から出土した鎔笵関係遺物は、考古資料として1983年(昭和58年)6月6日に国の重要文化財に指定されました。これらの出土品は、茨木市立文化財資料館に保管されており、詳細は以下の通りです。

これらの文化財は、東奈良遺跡が弥生時代における金属器生産の中心地として重要な役割を果たしていたことを示しています。鋳型から銅鐸や銅戈、勾玉といった装飾品や武器が作られ、日本各地に流通したことが伺え、当時の社会構造や貿易の発展にも寄与していたと考えられます。

まとめ

東奈良遺跡は、大阪府茨木市に位置し、弥生時代の環濠集落や銅製品の工房遺跡として日本史において貴重な遺跡です。ここで製造された銅鐸などの製品が広範囲にわたり分布していることから、この地が政治的・経済的に重要な拠点であったことがうかがえます。また、近年の調査により中世の水田跡も発見され、古代から中世にかけての歴史的な活動がこの地域で続けられていたことが明らかになっています。

この遺跡は、茨木市立文化財資料館で展示されており、来館者は出土品を通じて当時の文化や技術、生活の様子を知ることができます。大阪を訪れる際には、歴史に触れられる貴重な場所として東奈良遺跡を見学されることをお勧めします。

Information

名称
東奈良遺跡
(ひがしなら いせき)

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