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倍賀春日神社

(へかかすが じんじゃ)

倍賀春日神社は、大阪府茨木市に所在する春日神社九社の一つであり、地元の人々から信仰を集めている神社です。その歴史的価値や独自の伝承が豊かに残っており、古くからこの地の総鎮守として重要な役割を果たしてきました。

祭神

天児屋根命を主祭神とし、春日信仰の中心的存在として崇拝されています。この神社に祀られる天児屋根命は、鎌倉時代から人々の信仰を集め、数多くの祈願や願望成就に関わったと伝えられています。

倍賀春日神社の歴史

倍賀春日神社は、その歴史を奈良時代以前にまで遡るとされています。もともとは「高良社」あるいは「高良神社」と呼ばれ、中條郷の総社としても名高い存在でした。特に紀國弘という人物が、この神社に強い信仰心を抱き、誓願を立てて大願を成就したことにより、春日大明神を祀るために石燈籠を奉納しました。現在もこの石燈籠は社前に残されており、松の古樹とともに大阪府の天然記念物に指定されています。

伝説と天坊幸彦の指摘

また、歴史家である天坊幸彦は、神功皇后の三韓征伐の際に、この地を通った宿禰が村人たちの災厄を救ったという伝説を記録しています。村人たちはその恩に報いるため、彼を祀り神としたとされています。しかし、天坊幸彦はこの伝説について、「この伝説は後世に灯籠に刻まれたものである可能性がある」と指摘しており、伝承の正確性についても興味深い見解を残しています。

神社の格と昇格

明治5年(1872年)に倍賀春日神社は村社に列せられ、地域の総鎮守としてさらなる信仰を集めるようになりました。また、大正7年(1918年)には字藪の下に鎮座していた無格社の天満宮を合祀し、菅原道真公も祭神として祀られることになりました。

境内社

倍賀春日神社の境内には、天満宮があり菅原道真が祀られています。天満宮は、大正7年(1918年)に近隣の無格社から移されたもので、境内社として現在も残っています。

重要文化財である石燈籠

倍賀春日神社の境内には鎌倉時代に制作された石燈籠があり、これは三島地区で現存する燈籠の中で最も古いものとして知られています。昭和38年(1963年)には国の重要文化財にも指定され、その歴史的価値が認められています。

石燈籠の刻銘と解説

石燈籠には「春日大明神 攝刕島下郡 倍加村」と刻まれており、下部には「敬白 高良社 石燈爐 延慶二 八月 願主 紀□弘」と記されています。この刻銘は異なる字体であり、後の時代に追刻されたものである可能性が指摘されています。

石燈籠の起源に関する考察

高熊子竿は「春日神社の石燈籠考」で、この石燈籠について興味深い考察を述べています。彼によれば、この高良社は久留米市にある高良大社ではなく、石清水八幡宮の摂社である高良社(こうら)を指しているとされています。延慶2年(1309年)には花園天皇もこの高良社に行幸して寄進を行っており、その後、長らく放置されていた石燈籠が、明治初期に倍賀村の人々によって持ち帰られ、現在の神社に祀られたとされています。

倍賀春日神社の現在の姿

倍賀春日神社は、歴史的な価値を持つ石燈籠や松の古樹を有し、長い歴史を感じさせる雰囲気を保ち続けています。地域の人々からも深い敬意を持って崇拝され、現代に至るまでその信仰が受け継がれている神社です。春日神社九社の一つとして、歴史的な背景と信仰の対象として、多くの参拝者を集めています。

Information

名称
倍賀春日神社
(へかかすが じんじゃ)

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