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吉村家住宅

(よしむらけ じゅうたく)

吉村家住宅は、大阪府羽曳野市に位置する江戸時代初期の古民家で、日本の歴史的建築物として重要な文化財です。民家として初めて国の重要文化財に指定された点で知られるほか、建築美術の面で現代建築にも影響を与えました。その特徴的な建築様式や歴史的背景から、日本建築史の中で高い評価を受けています。

所在地と背景

吉村家住宅は、旧河内国丹比郡に属する現在の羽曳野市島泉に位置します。この地は古代から栄えた歴史のある地域であり、吉村家は地域の中核を担う豪族の家系に由来します。その歴史は南北朝時代にさかのぼり、織田信長の河内平定後に姓を「丹下」から「吉村」に改め、帰農したと伝えられています。江戸時代には代官格の大庄屋として地域を統治し、18か村を管轄するなど地域社会で重要な役割を果たしました。

吉村家の歴史

南北朝時代から江戸時代へ

吉村家の起源は、近江源氏の流れを汲む佐々木高綱の子孫とされます。南北朝時代には南朝に従い、その後は北朝方に与した丹下一族として知られます。織田信長の政策により居城であった丹下城が破却された後、吉村家は農民として新たな生活をスタートさせました。

代官格の大庄屋としての役割

江戸時代中期以降、吉村家は周辺地域を管轄する代官格の大庄屋として地域社会を支えました。特に農業や行政面での統治が行われ、地域住民との関係を深めることでその勢力を維持しました。

建築様式と文化財指定

主屋の建築様式

吉村家住宅の主屋は、大坂夏の陣(1615年)直後に再建されたと考えられています。特徴的なのは「大和棟造り」と呼ばれる屋根構造で、急勾配の茅葺き屋根と本瓦葺きが組み合わさっています。これは大和地方を中心に見られる建築様式で、上層農家の家格を示すものです。

文化財としての評価

吉村家住宅は1937年、民家として初めて国の文化財に指定されました。それまで文化財保護の対象は寺社や城郭が中心でしたが、吉村家住宅の指定により、個人住宅も保護対象となる先例が生まれました。その後、1950年の文化財保護法施行に伴い重要文化財へと名称が変更され、敷地全体が包括的に保護されています。

復原と現代への影響

復原事業の概要

戦後、吉村家住宅は1953年に痕跡復原法を用いて江戸時代中期の姿に復原されました。この復原は、建築史家・浅野清氏の指導のもと行われたもので、主屋や土蔵、表門などが当時の姿に戻されています。

東京都庁舎への影響

復原作業の際に作成された天井見上げ図は、現代建築の巨匠・丹下健三氏による東京都庁舎のデザインに影響を与えたとされています。このように、吉村家住宅は歴史的建築物としてだけでなく、現代建築にもその意匠が引き継がれています。

吉村家住宅の形式・構造

主屋

吉村家住宅の主屋は桁行41.2メートル、梁間11.4メートルの切妻造りで、茅葺きと本瓦葺きが組み合わされています。大和棟造り片入母屋の形式を持ち、四面に庇が設けられています。

表門と土蔵

表門は江戸時代後期(寛政10年)に建てられた長屋門で、入母屋造り茅葺きの構造を持っています。また、土蔵は18世紀前半に建設されたもので、切妻造りの本瓦葺きです。

公開状況と関連作品

特別公開

吉村家住宅は春と秋の特別公開期間に一般公開されています。事前予約が必要な場合もあるため、訪問を予定される方は公式情報を確認してください。

映画撮影地としての活用

吉村家住宅は映画『沈黙 SILENCE』(1971年)や『鑓の権三』(1986年)でロケーション撮影に使用されました。これらの作品では、歴史的建築の持つ雰囲気が物語に奥行きを与えています。

まとめ

吉村家住宅は、その歴史的価値と建築美術としての意義から、日本の文化財保護の先駆けとなった重要な存在です。特別公開の際には、歴史的建築物としての魅力を直接感じる貴重な機会を提供しています。また、現代建築への影響を通じて、伝統的建築の価値を再発見するきっかけともなるでしょう。

Information

名称
吉村家住宅
(よしむらけ じゅうたく)

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