南天苑は、堺市の『大浜潮湯』別館(家族湯)が室戸台風で倒壊した後、天見に移築されたもので、当初は大阪市阿倍野の料亭「松虫花壇」の別館として使用されていました。
1949年には温泉旅館「南天苑」として開業し、建物は数寄屋風入母屋造木造2階建の大規模なもので、和風と洋風モダンの意匠が融合した貴重な建築物です。敷地面積は3000坪で、日本庭園が設えられています。
国の登録有形文化財に指定された建物内では、古き良き日本を感じることができます。
紀見峠は古くから高野山参拝に利用され、多くの人々が訪れた場所です。南北朝時代には近隣の流谷八幡神社の宮司が、病弱な人々のために湯治場を開設し、大いに評判となりました。
流谷極楽寺が建立され、参拝客らは極楽寺を参拝してから高野山に参ることが慣習となり、極楽温泉などと呼ばれるようになりました。
しかし神社が焼失し、極楽寺にあった極楽湯室も類焼してしまい、全てが失われました。その後、再建されずに廃湯となり、遺跡のみが残りました。
1935年になって当時の天見温泉の見取り図が発見されたことで、地元では天見温泉再興の気運が高まり、1949年に温泉旅館「南天苑」が開業しました。
かつては高野参詣の旅人で賑わった地域であり、四方を金剛葛城山系の豊かな自然に囲まれています。