阿麻美許曾神社は、大阪市東住吉区矢田に位置する神社です。この神社は、延喜式神名帳に記載されている河内国丹比郡の式内社であり、旧社格は郷社です。古代から地域の歴史と文化を見守り続けてきた阿麻美許曾神社は、地元住民のみならず多くの参拝者に愛されています。
現在の祭神は以下の3柱です:
一方で、古い記録には「金剛寺本」に1座と記載されており、元の主祭神については諸説あります。中臣氏や物部氏との関係から、阿摩比古命や彦己蘓根命が祭神だった可能性も指摘されています。
阿麻美許曾神社は大同年間(806年頃)に創建されたとされていますが、実際にはそれよりも古い起源を持つと考えられています。「許曽」という名称が新羅語に由来することから、朝鮮半島からの渡来人が祖先を祀ったのが始まりとも言われています。
境内の手水舎の東側には「行基菩薩安住之地」と刻まれた石碑があり、行基がこの地に住んでいたとの伝承があります。しかし、行基年譜にはこの記録がなく、実証が難しい説とされています。
江戸時代、大和川の付け替えにより矢田村が分断され、神社は南岸に位置することになりました。その後も大阪市に属し続ける一方で、参道が松原市側に細長く伸びるという特異な地形的状況を形成しました。
明治初期までは「天見山」の山号を持つ神宮寺が境内にあり、神仏習合の歴史を残していました。しかし、廃仏毀釈により寺は廃止され、現在は山門のみが参道に残されています。
現在の拝殿は1863年(文久3年)に建築されたものであり、本殿は1960年(昭和35年)に独特の阿麻美造という様式で再建されました。
境内には樹齢500年を超える巨大なクスノキや神馬の像があり、神聖な雰囲気を醸し出しています。また、地域の地名である「天美(あまみ)」は、この神社に由来しています。
阿麻美許曾神社は、松原市天美地区の氏神として地域住民に親しまれています。また、「開運松原六社参り」の一環として他の5つの神社と共に多くの参拝者を迎えています。このような地域の文化と信仰をつなぐ役割を果たしている点が特筆されます。