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高屋築山古墳(古市高屋丘陵)

(たかやつきやま こふん ふるちのたかやのおかのみささぎ)

高屋築山古墳は、大阪府羽曳野市古市5丁目にある前方後円墳です。この古墳は、世界文化遺産にも登録された「古市古墳群」の一部を構成しており、その最南端に位置しています。また、宮内庁により「古市高屋丘陵」として第27代安閑天皇の陵墓に治定されています。

古墳の規模と形状

高屋築山古墳は、墳丘全体の長さが122メートル、前方部の幅が100メートル、高さが12.5メートル、後円部は直径78メートル、高さ13メートルという壮大な規模を誇ります。このような規模から、6世紀初頭のヤマト政権時代の権威を象徴する重要な古墳であるとされています。

築造時期

出土した円筒埴輪の特徴から、この古墳は6世紀初頭に築造されたものと考えられています。ヤマト政権の力が拡大していく時期の古墳として、その歴史的価値は非常に高いです。

安閑天皇と神前皇女の陵墓

宮内庁によって、安閑天皇(第27代天皇)の陵墓として治定されている高屋築山古墳ですが、実際の被葬者については明確ではありません。また、安閑天皇の皇女である神前皇女の墓であるともされています。このように、古代の天皇家に関連する古墳としての位置づけがなされています。

歴史的な背景

高屋築山古墳は、中世に畠山氏が築いた高屋城の本丸として使用されていた記録があります。『足利季世紀』には、畠山稙長が「本城ニハ恐レ」て居住せず、「二ノ丸」に居住していたと記されています。古墳に対する畏敬の念を持ちながらも、戦略的な目的で利用されたことが興味深い点です。

文化財としての価値

高屋築山古墳はその歴史的価値から、国の史跡に指定されています。2024年(令和6年)10月11日には、周堤が「古市古墳群」の一部として正式に国の史跡に指定されました。この指定により、保存・保護が進み、後世にその価値を伝えるための取り組みが続けられています。

ガラス碗の発見

伝安閑陵から出土したガラス碗は、現在国の重要文化財として東京国立博物館で展示されています。このガラス碗は、古墳時代における技術力の高さや交流の証拠として貴重な資料となっています。

古墳へのアクセスと拝所

高屋築山古墳の拝所は、国道170号線(旧道)に面した前方部正面の濠の外に設置されています。訪れる際には、この拝所から古墳全体を望むことができ、当時の壮大な構造を感じることができます。

訪れる際の注意点

高屋築山古墳は、現在も宮内庁の管理下にあるため、内部への立ち入りはできません。ただし、外部からその雄大な構造を見ることが可能であり、特に周堤周辺は保存状態も良好で、散策に適しています。

まとめ

高屋築山古墳は、大阪府羽曳野市の歴史と文化を象徴する重要な史跡です。その壮大な規模や天皇家との関連、また中世の城としての活用など、多くの歴史的・文化的な背景を持っています。訪れる際には、古代から中世にわたる歴史の息吹を感じながら、この地の魅力を堪能してください。

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名称
高屋築山古墳(古市高屋丘陵)
(たかやつきやま こふん ふるちのたかやのおかのみささぎ)

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