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烏帽子形城(押子形城)

(えぼしがたじょう)

烏帽子形城は、大阪府河内長野市喜多町の烏帽子形山に位置する日本の城です。別名「押子形城」とも呼ばれ、奥河内を代表する名所のひとつです。この城跡は、国の史跡に指定されており、日本遺産『中世に出逢えるまち ~千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫~』の構成文化財のひとつでもあります。現在は烏帽子形公園として整備され、多くの歴史愛好家や観光客が訪れています。

歴史的背景

築城の経緯とその役割

烏帽子形城は、南北朝時代に活躍した楠木正成によって築城されたと伝えられる「楠木七城」のひとつです。上赤坂城の支城として機能し、その戦略的重要性から数多くの争奪戦が繰り広げられました。元弘2年/正慶元年(1332年)に築城されたとされ、室町時代から戦国時代にかけて、特に高野街道を押さえる要衝としての役割を果たしました。

南北朝時代から戦国時代まで

楠木氏の支配下で、北朝の畠山氏との間で熾烈な争奪戦が行われました。その後、三好氏や畠山氏、さらには織田信長の家臣団が城を支配しました。天正12年(1584年)には豊臣秀吉の命により紀州攻めの拠点として改築されましたが、戦国時代が終わるとその役割を終え、元和3年(1617年)に廃城となりました。

城郭の構造

特徴的な城の配置

城郭の規模は、東西約180メートル、南北150メートルと小規模ながら、多彩な構造物が施されています。瓢箪型の主郭を中心に、逆L字型の腰曲輪や土塁、横堀が効果的に配置されていました。また、尾根には堀切、主郭の北側には切岸が設けられ、安土桃山時代の遺構が良好な状態で保存されています。

立地と自然地形の利用

標高182メートルの烏帽子形山の山頂部に位置するこの城は、北と西が断崖で囲まれ、石川や天見川といった川が天然の堀として機能していました。また、京や堺、高野山を結ぶ高野街道の交差点近くにあり、交通の要衝でもありました。

烏帽子形公園としての再生

公園としての整備

昭和30年代に風致公園として整備され、現在は自然豊かなハイキングコースとして親しまれています。横堀を利用した遊歩道や展望台が設けられ、訪れる人々がその歴史と自然を楽しめるようになっています。また、プールや遊具もあり、家族連れでも楽しめる施設です。

遺跡の保存状態

公園内には、古墳時代後期(6世紀代)の円墳である「烏帽子形古墳」があり、過去の調査で横穴式石室が確認されています。城跡の一部は史跡として保護されており、往時の姿をしのばせる遺構が随所に残されています。

アクセス情報

公共交通機関でのアクセス

南海高野線・近鉄長野線「河内長野駅」から南海バスの各路線を利用し、「上田」停留所で下車後、徒歩約10分で到着します。市内からのアクセスも良好で、多くの観光客が訪れています。

自動車でのアクセス

阪和自動車道「美原北IC」から国道170号(大阪外環状線)または国道309号を経由し、国道371号上田町北交差点から西へ約600メートル進むと到着します。駐車場も完備されており、車での来訪も便利です。

烏帽子形城の魅力

歴史好きにとっての魅力

安土桃山時代の遺構が良好に保存されているため、戦国時代の城郭構造を間近に体感することができます。また、南北朝時代や戦国時代の歴史を学ぶ上で非常に貴重な資料となっています。

自然と歴史の融合

烏帽子形公園として整備された城跡は、豊かな自然と歴史が融合した空間です。春には桜、秋には紅葉が楽しめ、四季折々の風景が訪れる人々を魅了します。展望台からの眺めも素晴らしく、市街地を一望することができます。

おわりに

烏帽子形城は、日本の歴史の中で重要な役割を果たした城であり、その跡地は現在、烏帽子形公園として人々に愛されています。歴史好きな方だけでなく、自然を楽しみたい方にもおすすめの観光地です。ぜひ一度訪れて、その魅力を堪能してください。

Information

名称
烏帽子形城(押子形城)
(えぼしがたじょう)

富田林・河内長野

大阪府