創建の歴史
龍泉寺の創建は、推古天皇2年に蘇我馬子(そがのうまこ)が悪龍退治を行ったことに由来しています。寺伝によると、嶽山の中腹にある池には悪龍が住みつき、里人たちに害を及ぼしていました。馬子が修法を行うと悪龍は天へ逃げ去り、その後この地に寺院を建立したとされています。
弘法大師による中興
その後、弘仁14年(823年)に弘法大師(空海)がこの地を訪れました。悪龍の報復により水が枯れていた境内で、空海が祈祷を行うと雨が降り注ぎ、池に水が湛えられるようになりました。この際、池には三つの小島ができ、聖天、弁才天、叱天が祀られました。また、牛頭天王を鎮守とする社が建てられ、現在の龍泉寺の基礎が築かれました。
鎌倉時代の隆盛
鎌倉時代には、寺院は東西両塔を有し、大小25の塔頭が立ち並ぶ大寺院へと発展しました。この時期に建てられた仁王門は、大阪府最古の八脚門として国の重要文化財に指定されています。また、池泉回遊式庭園は国の名勝庭園に指定され、現在も多くの観光客を魅了しています。
南北朝時代から近世への変遷
嶽山城の築城と戦乱
南北朝時代には楠木正成が嶽山の山頂に龍泉寺城(嶽山城)を築きましたが、このことで南北朝の争乱に巻き込まれ、寺院の多くが焼失しました。その後再建されるものの、再び戦乱に見舞われ、再度被害を受けることとなりました。
江戸時代の復興
安土桃山時代以降、灯明料として3石が認められたことで復興が進みました。江戸時代には近隣を治めた石川氏からの寄進を受けながら、寺院の復興が続けられました。しかし、全盛期ほどの規模を取り戻すことはありませんでした。
明治時代以降の変化
明治時代に神仏分離が行われると、牛頭天王を祀る鎮守社は龍泉寺から独立し、咸古神社として再編されました。現在では、龍泉寺とその周囲の自然や文化遺産は、訪れる人々に癒しと歴史を感じさせる場所となっています。
境内の見どころ
本堂
本尊である薬師如来を祀る本堂は、龍泉寺の中心的な存在です。荘厳な雰囲気が漂い、参拝者に心の安らぎを与えます。
行者堂・大日堂・聖天堂
行者堂や大日堂は、修行の場として重要な役割を果たしています。また、聖天堂では歓喜天(聖天)が祀られており、多くの参拝者が訪れます。
龍泉寺庭園(国指定名勝)
庭園は池泉回遊式の浄土式庭園として名高く、南北朝時代以前の庭園様式を伝えています。中央の池には3つの小島があり、それぞれに聖天、弁財天、叱天が祀られています。春には桜、夏にはハス、秋には紅葉と、四季折々の美しい風景を楽しむことができます。
雨井戸(龍王井戸)
この井戸は、弘法大師(空海)が雨乞いを行い、八大龍王を勧請して祀った場所として知られています。現在でもパワースポットとして人気があります。
仁王門(重要文化財)
建治元年(1275年)に再建された仁王門は、大阪府最古の八脚門として重要文化財に指定されています。金剛力士像も同時期の作で、見ごたえがあります。
その他の見どころ
- 弁天堂・叱天社
- 阿弥陀堂
- つつじ園
- 庫裏・史料庫
紅葉と参道
特に紅葉の季節には、境内の木々が色とりどりの彩りを見せ、多くの観光客が訪れます。参道には桜やツツジ、モミジなどが植えられており、四季折々の風景が楽しめます。
龍泉寺の文化財
国指定重要文化財
仁王門はその建築様式の美しさと歴史的価値から国指定の重要文化財に選ばれています。
大阪府指定有形文化財
木造金剛力士像(2躯)や木造聖徳太子立像、附属する像内納入品が府指定有形文化財として保護されています。
国指定名勝
庭園全体が国指定名勝に指定され、その美しさと歴史的価値が評価されています。
アクセス情報
自家用車でのアクセス
国道170号旧道・本町交差点(富田林駅前)から府道705号富田林五條線、府道201号甘南備川向線を経由してアクセスできます。駐車場も利用可能です。
公共交通機関でのアクセス
近鉄長野線「富田林駅」から4市町村コミバス東條線を利用し、「龍泉」バス停で下車後、徒歩約15分で到着します。
周辺の札所と見どころ
龍泉寺は河内飛鳥古寺霊場の札所の一つで、前後には観心寺(第10番札所)と瀧谷不動明王寺(第12番札所)が位置しています。周辺の寺社と合わせて巡ることで、より深い仏教文化を感じることができます。
まとめ
春の桜、初夏のツツジ、盛夏のハス、秋の紅葉と、四季を通じて美しい景色を楽しめる龍泉寺は、歴史と自然が融合した特別な場所です。訪れる人々の心を癒し、静寂と感動を提供してくれます。国指定名勝の庭園や重要文化財の仁王門をはじめ、四季折々の景色を楽しみながら、ぜひ足を運んでみてください。