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丹南陣屋

(たんなん じんや)

丹南陣屋は、大阪府松原市丹南3丁目、かつての河内国丹南郡丹南村に存在した丹南藩の藩庁です。 譜代大名である高木家が治めていた藩の行政拠点であり、江戸時代後期には「丹南役所」とも呼ばれていました。

丹南藩の成立と高木家

高木家の祖である高木正次は三河国の出身で、旗本から大名へと昇進した人物です。元和9年(1623年)には 大坂城番となり、1,000石の加増を受けて合計1万石の領地を得て丹南藩を立藩しました。丹南村を藩庁として選び、 高木家の統治が始まりました。

丹南陣屋跡地の現状

歴史的変遷

丹南陣屋の跡地は、1921年(大正10年)にはすでに痕跡が失われ、民有地の田畑となっていました。現在では工場や店舗、 民家などが建ち並んでいます。しかし、1999年(平成11年)の発掘調査によって、陣屋および藩校「丹南学校」の 遺構の一部が確認されています。

発掘調査と復元案

丹南陣屋の正確な位置や建物配置を知る資料は限られており、1873年(明治6年)の「丹南村地籍図」が唯一の手がかりです。 発掘調査の成果や住民からの聞き取りによって復元案が作成されており、東西約235メートル、南北約190メートルの敷地 が推測されています。

来迎寺との関わり

菩提寺と高木家の墓所

陣屋の西隣には融通念佛宗の寺院「来迎寺」があり、高木家の菩提寺として機能していました。初代藩主・高木正次と 11代正明の五輪塔が墓所に現存しています。また、1937年(昭和12年)には14代正得が「旧丹南藩主高木主水正陣屋址」 と記した石碑を建立しています。

移築された建築物

明治維新後、陣屋の御殿客殿の一部が来迎寺の奥座敷として移築されましたが、その後取り壊されてしまい、現存していません。

陣屋の構造と規模

配置と建物の特徴

丹南陣屋には、代官以下少数の家臣が常駐していましたが、幕末から版籍奉還の時期には江戸詰の家臣が戻り、 建物の増築と整備が進められました。陣屋の東側には家臣の住居が集まり、来迎寺周辺にも家臣長屋が存在していました。

陣屋周辺の人口と家屋

1874年(明治7年)に作成された丹南村の記録によると、士族の家は80戸、人口は324人(男性157人、女性167人)と 記載されています。これにより、陣屋とその周辺に居住していた家臣とその家族の規模がわかります。

丹南陣屋の重要性

丹南陣屋は、丹南藩の行政・政治の中心地として機能していただけでなく、歴史的にも貴重な遺構です。 現在はその痕跡がほとんど失われていますが、来迎寺や発掘調査による発見などを通じて、その歴史を 垣間見ることができます。

Information

名称
丹南陣屋
(たんなん じんや)

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