主な祭神と由来
美具久留御魂神社の主祭神は美具久留御魂大神で、大国主命の荒魂とされています。この神は水にまつわる神で、「水泳御魂(みくくるみたま)」とも称されます。龍神としての性格を持つ和爾神としても知られています。
配祀神として、天水分神(あめのみくまりのかみ)、弥都波迺売命(みずはのめのみこと)、国水分神(くにのみくまりのかみ)などが祀られています。また、木花咲耶比売神や須勢理比売命も一緒にお祀りされています。
創建と歴史
神社の起源
美具久留御魂神社の創建は、崇神天皇10年(紀元前88年)に遡ります。伝承によると、当地に大蛇が出没した際、崇神天皇が自ら視察に訪れ、大国主命の荒御魂であると判断しました。その後、杵築大社(現・出雲大社)から神体を勘請して祀ったのが始まりとされています。
崇神天皇62年には丹波国の氷香戸辺が神懸かりし、美具久留御魂の名を伝えたといわれています。この出来事を機に、「山河之水泳御魂(やまがわのみくくるみたま)」としての尊号が与えられ、現在の神社名の由来となりました。
平安時代から中世の発展
平安時代には式内社として『延喜式』に名を連ね、「河内国和爾神」としても知られていました。また、光孝天皇の勅額によって「河内大社」としての地位を得ました。その後、楠木正成が氏神として崇敬し、元弘元年(1331年)の赤坂城の戦いでは、幕府軍に焼き払われましたが、後に復興されました。
しかし、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による紀州征伐の際に再び兵火に遭い、社殿が焼失しました。万治3年(1660年)に再建され、現在の姿へとつながっています。
近代以降の神社
明治時代には郷社に列せられ、1996年には大規模な改築が行われました。現在、本殿や拝殿、社務所などが整備され、多くの参拝者を迎えています。
境内と見どころ
美具久留御魂神社の境内は広大で、多くの歴史的建造物や名所が点在しています。本殿は万治3年(1660年)に再建され、山腹に位置します。また、上拝殿や下拝殿、鎮魂殿などの建物が点在し、二上山を正面に望む絶好のロケーションにあります。
古墳群
本殿の裏手には、古墳時代のものとされる「宮神社裏山古墳群」があり、1号墳は前方後円墳として知られています。この古墳は神体山として神聖視されており、奥神籬天神奉斎所となっています。
摂末社
神社内には多くの摂末社があり、それぞれ独自の歴史と祭神を持っています。例えば、熊野神社、貴平神社、南木神社、皇大神社などがあります。これらの摂末社を巡ることで、さらに深い歴史を感じることができます。
例祭
美具久留御魂神社の例祭は、毎年10月の第3金曜日に行われます。この祭りでは地域の人々が集い、神社の伝統を祝います。
アクセス
美具久留御魂神社へは、近鉄長野線「喜志駅」から徒歩15分でアクセス可能です。公共交通機関を利用して訪れることができる便利な立地にあります。
まとめ
美具久留御魂神社は、その長い歴史や美しい境内、神聖な雰囲気で訪れる人々を魅了しています。地域の文化や歴史に触れる貴重な場として、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。