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墓山古墳

(はかやま こふん)

墓山古墳は、大阪府羽曳野市白鳥に位置する前方後円墳であり、古市古墳群(世界文化遺産)を構成する重要な古墳の1つです。その壮大な規模と歴史的価値から、多くの観光客や歴史愛好家を惹きつけています。

墓山古墳の概要

墳丘の特徴

墓山古墳は古市古墳群のほぼ中央、誉田御廟山古墳の南西に位置します。全長は約225メートルで、後円部の直径は約135メートル、高さは約20.7メートル、前方部の幅は約153メートル、高さは19.3メートルと、古市古墳群内で5番目に大きい古墳です。

墳丘は三段築成で、表面には葺石が施され、埴輪も配置されていました。さらに、くびれ部の両側には「造り出し」と呼ばれる付属施設が確認されており、墳丘全体を幅約15メートルの濠と幅約37メートルの堤が取り囲んでいます。

石棺と出土品

後円部の頂上には、亀甲紋を陰刻した竜山石製の長持形石棺の蓋石が露出していたことが報告されています。また、滑石製勾玉や形象埴輪といった副葬品が周辺から発見され、宮内庁によって保管されています。これらの特徴から、墓山古墳は5世紀前半に築造されたと考えられています。

陪塚群と関連する古墳

陪塚の存在

墓山古墳の周囲には、5つの陪塚とされる方墳が存在します。これらは野中古墳、向墓山古墳、浄元寺山古墳、西墓山古墳、西馬塚古墳として知られています。

西墓山古墳の発見

現在は消滅している西墓山古墳(1辺約18メートル)の跡地から、大量の鉄器が発掘されました。その中には刀剣200点以上や農耕具2000点以上が含まれます。これらの出土品から、西墓山古墳は埋葬施設ではなく、副葬品を安置するための陪塚であったと考えられています。

西馬塚古墳と古事記

西馬塚古墳は、『古事記』に登場する興味深い物語の舞台でもあります。この物語では、自分の馬と交換してもらった馬が翌日には埴輪の馬になっていたという伝承が語られています。

墓山古墳の現状と保存

南側周濠の変遷

墓山古墳の南側周濠は、後世になって外堤が削られ、埋め立てられた結果、現在は墓地として利用されています。この墓地の一角には、幕末から明治時代にかけて活躍した桃井春蔵の墓が存在します。

文化財としての指定

墓山古墳は1975年(昭和50年)2月22日に国の史跡として指定されました。この指定は、古墳の歴史的価値を保護し、次世代へと継承するための重要な一歩です。

訪れる際のポイント

周辺の観光地

墓山古墳を訪れる際には、古市古墳群の他の主要な古墳や、羽曳野市の歴史的な観光地も合わせて巡ることをお勧めします。

アクセス情報

墓山古墳は大阪府羽曳野市に位置しており、公共交通機関や車でのアクセスが可能です。詳細なアクセス方法や周辺の施設情報については、観光案内所などで事前に確認することをお勧めします。

まとめ

墓山古墳はその規模や歴史的背景から、大阪府羽曳野市の重要な文化遺産とされています。古市古墳群全体の一部として世界文化遺産にも登録されており、多くの人々にとって貴重な歴史探訪の場となっています。ぜひ一度訪れて、その壮大な歴史を肌で感じてみてください。

Information

名称
墓山古墳
(はかやま こふん)

富田林・河内長野

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