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来迎寺(諸仏山 護念院)

(らいこうじ)

来迎寺は、大阪府松原市丹南3丁目に位置する融通念仏宗の寺院です。正式名称は「諸仏山 護念院」と称し、中本山格六別寺の一寺として重要な位置を占めています。来迎寺は、河内地域の丹北・丹南・八上の三郡および摂津地域の欠郡における36寺の中本山格の一つとして知られています。

融通念仏宗は松原市内で2番目に多い宗派であり、地域の宗教文化に深く関わっています。

概要

来迎寺は、創建時には大阪夏の陣で焼失しましたが、その後再建され、元和9年(1623年)には高木正次が河内の領地を拝領した際に菩提寺としました。

歴史

中近世

『大阪府全志』によれば、来迎寺は元々「阿弥陀寺」と呼ばれていましたが、正中元年(1324年)に現在の寺号を得たとされています。

来迎寺は、現在の枚方市に所在していましたが、計26回の戦火に見舞われ、各地を転々とした後、現在地で再建されました。元和元年(1615年)の大阪夏の陣では、真田幸村勢による戦乱で丹南一帯が焼け野原となり、来迎寺も焼失しました。

再建は元和9年(1623年)に行われたとされますが、一部の説では正保4年(1647年)に源通上人による再建とも言われています。この再建によって、源通上人は中本山としての格式を整えることに成功したとされています。

また、来迎寺の東に陣屋を構えた高木正次は、この寺を藩主としての菩提寺とし、以後、高木氏が明治までこの地を治めました。

近代

1869年(明治2年)の版籍奉還後、来迎寺は丹南藩の庁舎として利用されました。しかし、1871年(明治4年)の廃藩置県によって丹南県が堺県に統合されると、高木氏は東京へ移住し、陣屋は取り壊されました。その際、陣屋の座敷は現在も来迎寺の客殿として残されています。

現代

陣屋跡地は現在、工場や民家に変わり、遺構を伝える記念碑が来迎寺山門前に設置されています。また、1873年(明治6年)頃の「丹南陣屋地形古図」や1880年(明治13年)の「丹南村地籍図」には陣屋の北側にあった牛頭天王社が描かれています。この神社は藩主・高木氏の産土神とされ、現在は中央環状線沿いのゴルフセンター付近に位置していました。

境内

主要建築物

高木氏の墓所

初代藩主・高木正次や第11代藩主・高木正明など、歴代の高木家の墓が境内墓地に現存しています。

その他の施設

稲荷社、弁天堂、位牌堂、納骨堂、地蔵堂、鐘楼なども境内に存在します。

文化財

大阪府指定天然記念物「来迎寺のいぶき」

樹齢500年を超えるイブキの木が、1981年(昭和56年)に大阪府指定天然記念物に指定されました。高さ約15メートル、幹周り4.1メートルの巨大な樹木で、松原市を代表する名木です。

松原市指定有形文化財

史料

来迎寺には約4500点の古文書や版木、聖教が良好な状態で保存されています。これらは近世融通念仏宗の研究資料として非常に価値が高いものです。

現地情報

所在地

大阪府松原市丹南3丁目

アクセス

Information

名称
来迎寺(諸仏山 護念院)
(らいこうじ)

富田林・河内長野

大阪府