津堂城山古墳は、大阪府藤井寺市に位置する前方後円墳で、古市古墳群(世界文化遺産)を構成する重要な古墳の1つです。
津堂城山古墳は、墳丘長208メートル、後円部の直径が128メートル、高さ16.9メートル、前方部の幅が117メートル、高さ12.7メートルの巨大な古墳です。南東を向いた前方部を持ち、二重の周濠が墳丘を囲む構造となっています。築造は4世紀後半と推定されており、古市古墳群の中でも初期の古墳に位置付けられています。
この古墳は、4世紀後半に大和王権の支配下で築造され、地域の政治的な中心地の象徴としての役割を果たしました。室町時代には古墳地形を利用して「小山城」が築かれたため、一部の墳丘が破壊されましたが、明治初期には天皇陵の候補地として注目されるようになりました。
1912年に後円部の墳丘から竪穴式石室と長持形石棺が発見され、多数の副葬品が出土しました。その後、1980年には大阪府教育委員会、1983年には藤井寺市教育委員会が詳細な発掘調査を実施し、二重の周濠や石葺の外側堤の存在が確認されました。
被葬者は不明ですが、大王墳とする説に基づき、初めて河内に埋葬された仲哀天皇やその家族が候補として挙げられています。また、一部の研究者は埴輪の出土状況からヤマトタケルの墓の1つである可能性を指摘しています。
津堂城山古墳は、5世紀以降の大王墳の基本形態に影響を与えた重要なモデルとされています。また、大和から河内への古墳築造文化の移行を示す代表的な遺跡です。
後円部北側に位置する展示施設で、長持形石棺の複製や水鳥形埴輪などが無料で見学できます。
後円部の北側中腹にあり、竪穴式石室の一部とされる石板が石碑として建立されています。
古墳周辺には、ハナショウブやスイレンが植えられた花しょうぶ園、そして津堂草花園が整備されており、自然豊かな景観を楽しむことができます。
近鉄南大阪線「藤井寺駅」から近鉄バスに乗車し、「小山」または「大正橋南詰」バス停で下車します。「津堂城山古墳前」の副名称が付いたバス停もあり、アクセスは便利です。
津堂城山古墳は、その壮大な規模と歴史的意義、周囲の自然環境や展示施設により、訪れる人々に古代日本の文化と歴史を伝え続けています。大阪府藤井寺市を訪れる際には、ぜひ足を運んでみてください。